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「わかりやすさ」がわかりにくくしている

言葉って便利だ。

どんなに複雑な感情だったり、
どんなに複雑な仕組みだったとしても
「それをひっくるめるとこう言います」
と単語で定義づけられてしまうことがある。

何も知らない人はその定義を聞いて、
「あ、これってこういうことなんだ」
「こういう特徴のあるものなんだ」

と分かったつもりになる。

でも定義づけられた側は思う。

「いや、そんな単純じゃないよ」

複雑なものをわかりやすくするために単語がある一方で、
その単語があることでよりわかりにくさが生まれることがある。

なんとも皮肉なものだ。

それこそ今自分が関わっている、
障害者就労支援の領域だってそうだろう。

○○障害と言葉上で定義はされるが、
その〇〇障害の方は全員同じ特徴かと言うと当然そんなことはない。
人それぞれによって違う。

でも人と違うことがあるのは当たり前のことで。
だって人が違うのだから。

そんなこと言えば我々は全員が「人間」という大きな括りの中にいる。
だけどじゃあ全員すべてが同じかというと全然違う。
それと一緒。ちょっと具体レベルが上がっただけ。

結局は「その人」自身を見ていかなきゃいけない。

単語で定義されることで分かったつもりになっちゃいけない。
単語はゴールではなく、あくまでコンパス。
方向性を教えてくれるだけのものだ。

簡単にわかったつもりになっちゃいけなくて、
むしろ分かり合えない部分があるところから興味を持つことが大事。


わかりやすさばかりを求めちゃいけない。
本当に知りたいのなら、わかりにくいところにまで敢えて足を踏み入れていきたいものだ。

簡単に「わかった」なんて言わないでね。


そんなことを思った平日の夜、23時。

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