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「配慮」と「わがまま」の線引き

#就労支援の現場から


久しぶりに #就労支援の現場から というテーマのもと書いていきたい。
就労支援の現場、とりわけ就労移行支援にいると「障害者雇用」というワードはよく聞くものになっている。

障害者雇用で就職していく際に大事になってくるのが「配慮事項」だ。

昨今では、合理的配慮という言葉が使われるようになって久しい。少しずつ言葉は浸透してきているような印象を受ける。

合理的配慮:障害のある方々の人権が障害のない方々と同じように保障されるとともに、教育や就業、その他社会生活において平等に参加できるよう、それぞれの障害特性や困りごとに合わせておこなわれる配慮のこと

企業側と本人の間で認識のズレを生まないためにも、いかに自分が配慮してほしいことを適切に企業側に伝えられるかが肝心になってくる。移行支援をはじめとする就労支援ではその間に入り、双方のコミュニケーションを円滑に進めるのも1つの役割だ。

そんな障害者雇用、合理的配慮に対して最近考えることがある。
それが、「配慮」と「わがまま」の線引きだ。

まず前提として、本当に必要な配慮があるということは頭に入れておきたい。必要な配慮は受ける権利、義務がある。だからそこを我慢して伝えないよりも、相手が理解できるように伝えていった方がよい。

ただその一方で、必要な配慮がどんどん積み重なっていくとそれに対応できる相手がどんどん減っていくなとも感じている。

言われてみればそれはそうで。企業側は「あなた」を雇うために会社を運営しているわけではない。会社をより成長させていくために必要な人材として「あなた」を雇うのだ。

だから一定程度の配慮は対応できても、自分たちが設けている基準を超えていくのであれば、ちょっと厳しい言い方になるが「じゃあ結構です」となってもおかしくはない。

従って配慮を必要とする場合はそれに対しての「自分なりの工夫」もセットで必要になってくる。皆さんにはこう配慮してほしいです、私もこういう工夫をしていきます、と。歩み寄ってもらうんじゃなくて、互いに歩み寄る

工夫なしに「配慮してほしい」は、一歩間違えれば「わがまま」と捉えられてしまいかねない。

「自分なりの工夫」を用意するかしないかで、自分の選択肢を広げる可能性もあるし、かえって選択肢を狭める可能性だってある。

そのためにも「できないことなのか、やりたくないことなのか」の見極めは大事だし、「全くできないのか、一部ならできるのか」の見極めも必要。

相手に変わってほしい/対応してほしいのであれば、自分はこうしていく/変わっていくという提示がないと釣り合わない。


そういった、「配慮」と「わがまま」の線引きは、多少厳しめでも見ていきたい部分。それが本人を楽にもするし、首をしめることにもなるから。


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