分かれていたものを疑っていく
昨日、Xにてこんな投稿をした。
最近の記事で「情報を絞る」と言っておいてなんだが、140文字じゃ表現するには文字数が足りなかったのでここでも追加で書いていきたい。
「今まで分かれていたものを疑っていく」
すごく興味深い言葉だと思った。
私たちは何かと分けることが多い。
それこそ文系、理系とか、男女とか、海と山とか。
きっとそれは、分かれていた方が分かりやすいから。
でも上記の言葉は、そうやって今まで分けていたものを疑っていきましょう、という話なわけだ。
言われてみれば時代の流れとしてもその傾向にある。
文系だけで完結する、理系だけで完結するよりも、
「自分がやりたいこと」に対して文系のスキルも理系のスキルも持ち合わせていたらより出来ることの幅が広がってくるし、
「男だから・・・」とか「女だから・・・」とかじゃなく、男性でも育休が普及してきたし、バリバリ働く女性だってたくさんいる。
分けることは確かにわかりやすいことだけど、かえって可能性の幅を狭めていることになる。
分かれているから別物、ではなく、いかに互いを融合させていくか。
これって恐らく「目的が何か」の話であって。
分かりやすくすることが目的なら分けた方がいいのかもしれないけど、みんなが求めているのはきっと違う。
自分がより輝けるには、、だったり、家族がより円滑になるには、、だったり、社会がより発展していくためには、、だったり。
そういったことを目的とするのであれば、分けることよりも融合させることの方が大事。
それで言うと、私が今働いている障害福祉、就労支援の世界だってまさしくそうで。
きっとわかりやすくするために世の中には「障がい者」「健常者」といった言葉があるけれど、そもそもこの分け方は本当に適切なの?と疑っていかなきゃいけないんだと思う。
もちろんまったく同じことを同じレベルで出来るかというと、そうはいかない場面もあるかもしれない。それでも同じレベルで出来るものだってあるだろうし、それぞれの強みだってある。
少子高齢化だったり、労働人口の減少だったりが言われている中で、本当に分けていくことが最適なのか疑っていく必要があるんじゃないかと思う。
だからといって「分けるのは違ってますね。じゃあ明日から交わっていきましょう」とスムーズに移行できるかというと簡単な話ではない。まずはお互いを知っていかないといけない。その中で適材適所を見つけていかないといけない。
そこをつないでいく役割として、就労支援が担うものは大きいんじゃないかな、と思っている。
何はともあれ、様々なことに対しての「分かれていたものを疑っていく」姿勢は大切にしていきたい。
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