言葉は対等でないと。
「嫌い」な言葉っていくつかある。
そもそも「嫌い」という言葉のトゲトゲしさがそんなに好きじゃないから、あまり使いたくないのだけどここではあえて使ってみる。
言葉に意識を向けていると、好きな言葉がたくさん増える。
ずっと胸に留めておきたい言葉がたくさん増える。
その一方で嫌いな言葉にも気づくようになる。
体現しちゃいけないな、と思う言葉に気づくようになる。
今回お伝えしたい「嫌い」な言葉は2つ。それは相反するもののようなんだけど、グループとしては似ているもの。それが、
「泣き寝入り」と「言ったもん勝ち」だ。
それぞれの言葉の意味を確認してみたい。
泣き寝入りは想いを「言えない」側、言ったもん勝ちは想いを「言える」側。そういった意味では相反する。
一方で共通しているところで言えば「会話をしていない」ということ。
言っても伝わらない、言っても意味がない、言うのが怖い、そうやって相手と会話をすることよりも自分が我慢することを選ぶ、それが「泣き寝入り」だ。
真実か嘘かわからない、自分の思うようにことを進めたい、声を挙げれば注目が集まる、だから言う、それが「言ったもん勝ち」だ。
泣き寝入りも言ったもん勝ちも、それぞれを100%否定するつもりはない。
本当に泣き寝入りした方が自分のためになる場合もある(かもしれない)し、それこそ泣き寝入りするくらいなら言ったもん勝ちにしちゃった方がいいこともある。
でもそれぞれ問題点も忘れちゃいけない。
そもそも「泣き寝入り」せざるを得ない状況を周りがつくっちゃいけない。たいてい泣き寝入りをするのは”優しい人”か”詳しくない人”。
優しいことをいいことに、詳しくないことをいいことにそこにつけこむ人がいる。そんなの間違っている。
だけど環境を変えるのって自分1人じゃできないから、今から出来ることとしては「自分のことは自分で守る」に尽きるんだろうなと。
優しさを持っている人も、何よりも一番は自分自身を優しくしなきゃいけない。そのためには毅然とした態度をとることだって必要で。
詳しくない人は学ばないといけない。知識って何よりの盾になる。
「言ったもん勝ち」に関しては、言って終わりにしちゃいけない。
言うからには、その言葉に責任と覚悟を持たないといけない。
自分自身の行動で、その言葉を証明していかないといけない。
それが出来ない人が「言ったもん勝ち」にしていこうとするんだろうけど、可能な限りそういった状況がなくなればいいなって思う。
言ったもん勝ちが増えることで、泣き寝入りが増えるんだから。
自分は言葉が好きだ。
言葉って自由であっていいと思う。
でも自分にだけ都合のいいように使ったり、
相手だけが都合よく使ったりすることに対しては違和感がある。
お互いが対等に使えないといけない。
そんなことをふと思った。
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