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まとまらない言葉たち

「もうだめだ」

そんなこと何度も思った。

「なんで頑張っているのか」

そんなことも何度も思ったことがある。

でもなんだかんだ大丈夫だったし、
最終的には頑張った先の終着点を自分でつくれている。

そういった意味では案外自分は図太いのかもしれない。

嘆いて同情を求めても環境が何か変わるわけでもなく、
結局最後は自分がなんとかしなくちゃいけない。

そんな世の常を知ったのは小学生くらいの頃か。

だけどこれは別に、自分が大変であることを我慢することじゃない。
「あの人の方が大変な状況だから」と抑え込むことじゃない。

大変な時は大変だ、と叫んでいい。でも止まらない。
叫びながらも動く姿を周りは見てくれている。
そんなことに気付けたのは大学生になってからか。


もっともっと人を頼っていいし、
もっともっと自分に自信を持っていい。

心配性な自分だけど、なんだかんだ「なんとかなる」と思っている。
いや、「なんとかできる」と思っている。

だからといってずっと1人はやっぱり寂しい。

だから楽しみも喜びも悲しみも悔しさも、
誰かと分かち合えたらずっといい。

それは依存しあう関係とかじゃなくて、
お互いに自立しながらも定期的に合流して進捗共有する感覚で。

こんな感じで感情というのは揺れたり迷ったりするもので。
だけど揺れて迷って戸惑うことこそが人間で。

1人じゃないから「もうだめだ」と思っても踏ん張れるし、
1人じゃないから「なんで頑張ってるんだ?」と思ってもなんだかんだ頑張れてる。

なんだかんだやれてるうちに、自分なりの答えを探そう。
それでも答えが見つからなかったらまと違うところに旅に出よう。

それくらい楽な気持ちでいいのかもしれない。


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