天正14年(1586)2月21日は秀吉が旧大内裏跡に聚楽第の造営を始めた日。関白秀吉の政庁兼邸宅として翌年9月完成。後陽成天皇の行幸も迎えるなどした。後に関白を譲った甥秀次の邸宅となる。秀次事件により秀次の切腹と一族の処刑とともに完成から僅か8年で秀吉は聚楽第を徹底的に破却した。
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