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何故自然療法を学ぼうと決めたのか?

英国ロンドンで美容室を経営しながらアストロ望診を学んでいるryocoです。

そもそも、生理の度に鎮痛剤を服用し、サプリメントを数種類、効果や何が入っているのかもよく分からないのに摂取し、よくレースを走り、ほぼ毎晩ポテチ食べながら晩酌していた私が自然療法を学ぼうと思ったのか。

それは何か大きな転機があった、という訳でもなく、ジワジワと、違和感が募っていったからだと思います。

私は祖父母がそれぞれ50歳と48歳の時に生まれ、隣の家で育ったので、小さい頃は一緒に京都にお出かけ行ったり、畑や山に栗拾いやさつまいも掘りに連れて行ってもらっており、自分でもおじいちゃん、おばあちゃん子だったと思います。(祖母はまだ存命)
その頃、まだ生きていた母方の曾祖母も大好きで、私が彼女にベタベタしていた記憶があります。

その曾祖母は何のためか分からないけど病院に行くのが日課で、お家でも何種類ものお薬を朝昼晩飲んでいました。
それなのに、だんだん歩行が難しくなり、死を迎える前の10年近くは病院や介護施設に行く以外は外出など出来ませんでした。
何度か「(私の)祖母や母にお世話してもらって申し訳ない、早く死にたい」と言っていたのを覚えています。

祖父も、確か70代で心筋梗塞をおこして入院してからは、それまでずっと吸っていたタバコを止め、運転も止め、お庭の手入れはしていたけれど、元々社交的なタイプではなかったのもあってか、家にいる時間が増え、お薬の量も増えていきました。

年を取るとお薬の量が増えるものだと思っていたけれど、本当にそうなのか。

お薬はそれを飲んでいる人を健康にしてはいないのではないか。という風に考えるようになりました。
(痛みを和らげたり、炎症を抑えたり、検査での数値を下げたりしてくれますし、全てのお薬反対!って立ち位置ではないです。人、状況、それぞれだと思います。)

祖父はご飯が食べられなくなった亡くなる直前、ジェル状の何かを食べて/飲んでいました。
耳は遠かったけれど、頭ははっきりしていたし、亡くなる10日位前にはヒゲも自分で剃っていました。
立派な死に様だったと思うけれど、QOLという観点ではどうだったろうか、自分だったらどう過ごしたいかなぁ、などと考えるようになった。

昨日まで、美味しいご飯食べて、お友達や家族とおしゃべりしてたりお出かけして、夜寝て、朝気づいたらぽっくり逝っていた、というのが最終目標かなって思うようになりました。

そうこうしている内に、パンデミックが起こり、時間ができた事で今までの生活習慣を振り返る事もでき、学ぶ事を始められたので、ロックダウンもネガティブなことばかりではなかった、と今では思えます。

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