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地理旅#7「エルサレム編〜青空の不協和音」

架けられた橋、架からぬ橋

カタールを発って、ヨルダンの首都・アンマンに着いたのは18時過ぎ。外に出ると、日は沈んでいた。日較差が大きい乾燥地帯の夜は急に冷える。肌寒いのか、ちょっとした緊張なのか…鳥肌が立っている。

飛行機からタクシーに乗り換え、世界一厳しいと言われるイスラエルとの国境へ。整備された幹線道路を、タクシーは猛スピードで走る。市街地を抜けて丘陵地帯に差し掛かり、暗闇が前から後ろへと流れていく。今度は丘を駆け下り、どうやら死海へと続く「大地の溝」に差し掛かったらしい。

空港を出発して1時間。キング・フセイン検問所に到着した。運転手のガッサンは一言残して車をUターンし、暗闇に消えていった。

国境の橋は、日本が架けてくれたんだ。
良い旅を。

5人くらいにパスポートをチェックされたのち、窓口の人にクセの強い早口の英語で何かを説明され、そのまま「命綱」は持っていかれてしまった。

イスラエルの入国スタンプがあると周りのアラブ諸国には入国できないと脅されていたので「押さないで~」と祈るほかない。僕はバスへと案内された。

ヨルダン川に架かる国境のアレンビー橋に向かって、照明灯だけがまっすぐ伸びている。それ以外には何も見えない。おそらく、荒野を走っているんだろう。遠くでパレスチナ自治区の光が揺れている。

橋は1918年に建設された後、ユダヤ対アラブの中東戦争や洪水被害にも遭って、何度も破壊・崩落してきた。その度に、交通の要所であるアレンビー橋は架け直されてきた。ヨルダンと友好な関係を築いている日本政府のODA(無償資金協力)によって、2001年に現在の橋が完成した。

一方、橋の向こう側のイスラエルとパレスチナ自治区の間には、一向に「橋」が架かる気配がない。僕が訪れた半年前まで、51日間にわたってイスラエル軍によるガザへの空爆と地上攻撃が繰り返された。死者は2,000人以上のうち、半数以上は女性や子どもを含む非戦闘員だった。

2021年。ガザ地区からエルサレムにロケット弾が発射され、イスラエルは報復として再びガザ地区を空爆し、双方合わせて200人以上が亡くなった。言葉にならない。

週刊エコノミストONLINEより引用

バスがイスラエル側の検問所に到着し、いよいよ入国。行先を尋ねられても、決して「パレスチナ」と答えてはならない。男性だけでなく、ライフルを携えた女性のイスラエル兵の姿も多い。イスラエルは、女性を含む全国民に徴兵の義務がある。いぶかしげな顔をされつつも入国審査を終え、乗り合いバスでエルサレムへ。良かった・・・。パスポートにはスタンプが押されず、「入国カード」が挟まっていた。

緊張と移動の疲れからか、ホテルのベッドに倒れ込むと、そのまま深い眠りに落ちていた。


交わらない街、交わざるをえない街

翌朝、1日5回の礼拝を知らせる「アザーン」が部屋まで聴こえ、目を覚ました。そのとき、はじめてムスリム地区に宿を取っていたことに気が付いた。

エルサレムの旧市街は、ユダヤ教徒、キリスト教徒、そしてイスラム教徒(ムスリム)がモザイク状に住み分けている。いわゆるセグリゲーション(居住地域分化現象)だ。

ムスリム街をブラブラ歩くと、眠気が一発で冷める本屋だったり、ユーモアたっぷりに風刺する土産品だったり、ちゃんとエルサレムを訪れたことを自覚させてくれる。

国連を含む国際社会は、エルサレムをイスラエルの首都とは認めておらず、パレスチナ自治区ということになっている。しかし、イスラエルが実効支配しているのが現状だ。


乾燥・紛争地帯の生存戦略

食事はとても美味しかった。定番のフムス(ひよこ豆のペースト)も気に入ったが、オリーブやルッコラ、パプリカもフレッシュだった。イスラエルはヨーロッパ、西アジア、北アフリカの交差点にあたり、これらが融合した料理を楽しむことができる。

国土の大半が乾燥地帯のイスラエルだが、実は食料自給率90%以上を誇る農業国であり、輸出国でもある。これを実現させているのは「点滴灌漑」という節水技術で、最低限の水で効率的な栽培を可能にしている。バイオテクノロジーを活かした農業ベンチャーも数多い。

街中にはLRT(Light Rail Transit/次世代型路面電車)も走り、歴史的な景観の中に先進技術が顔をのぞかせる。中東といえば石油のイメージだが、イスラエルは産油国ではない上に、複雑な歴史的背景から紛争が絶えない国でもある。

だからこそ、有事の際に対応できるよう食料自給率も高水準を保っているし、農業以外にも医療機器、ダイヤモンド加工、ハイテクベンチャーなどが発達しているのである。


青空の不協和音

イエスが十字架を背負って歩いたとされるヴィア・ドロローサ(悲しみの道)の終着点にある、キリスト教最大の聖地でイエスの墓だと信じられている聖墳墓教会へ。

教会内は礼拝者でごった返している。墓を前にひざまずき、涙を流す人。静かに祈りを捧げる人。ただただ、世界中から聖地に集まった人々の熱量に圧倒されていた。

すると、急に厳かな雰囲気とは異なる音が外から聴こえてくる。「アザーン」だ。ビックリして外を見ると、すぐ向かいのモスクから流れている。「互いに一神教だけど、大丈夫・・・?」と、無知な僕は一人で勝手に慌てていたが、礼拝者は何事もなく祈り続けている。

細い石畳の路地を5分ほど歩くと、イスラム教第3の聖地・岩のドームの入り口にたどり着いた。物々しく、銃声が鳴り響いている。既にゲートは封鎖され、イスラエル兵が制止している。「今日しか礼拝することができないの!」と泣き叫ぶムスリムの女性グループが食い下がる。

僕が訪れた2014年には、ISIL(イスラム国)が勢力を拡大していた。どうやら、その関係で今日は入場できないことになっているらしい。残念ながら僕も諦めて、ユダヤ教徒にとっての聖地へ。

ユダヤ教の聖地・嘆きの壁は、元々はユダヤ教のエルサレム神殿があった外壁にあたる。紀元前にローマ軍により破壊されてしまい、唯一、現存しているものである。今もなお嘆き悲しむ人が後をたたないことから「嘆きの壁」と呼ばれている。

岩のドームは、元々のエルサレム宮殿の跡地にあるというのだから、ユダヤ教徒の嘆きは計り知れない。

男女別の入口で「キッパ」と呼ばれる白い帽子をもらった。頭上に神がいることを意識し、神に謙遜の意思を示すという理由らしい。それから、壁に背を向けることも慎むようにと注意される。

超正統派の教徒は黒づくめでヒゲを伸ばしているから、すぐに識別できる。彼らは、聖書を唱えながら壁に向かって涙を流していた。

およそ1km四方の旧市街。元をたどれば唯一の神を信じる、3つの宗教が共存するエルサレム。神を信じて涙を流し、厳かでゆったりとした時間が流れる一方で、イスラエル兵はライフルで武装し、空からは爆弾が落とされる物々しさ。およそ僕の知識や経験では理解しきれず、形容しきれない。

それでも、乾燥地帯の空は雲ひとつなく、ここが宗教対立のヘソだってことを忘れさせるくらい、青く澄み渡っていた。


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