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【学級通信】「日本やばくね?」に対して、私たちは、何をすべきか。何ができるか。

地理の授業中。ニュースアプリで調べ学習をしていたときだった。

「先生、大変です!!」

もはや、授業どころの話ではなかった。

次に聞こえてきたのは、

「日本やばくね」

という声。

世界一の治安が良いと称された国で起きた蛮行。あまりにショッキングな事件だったので、心が痛んでいる人は、いまは読まないで欲しい。また、そういう時には、できる限りメディアから距離を取った方が良い。

さて、暴力は、もっともコストをかけずに相手を封じ込める、卑劣で許しがたい方法だ。強く非難する。

――とは言え、非難するだけでは何も変わらない…むしろ、“分断”を助長する可能性すらある。もちろん、暴力を肯定する訳ではない。このような事件を生んでしまった社会の構造に目を向けるべきである、ということである。

京アニの無差別放火事件、昨年から相次ぐ電車内でのテロ行為、そして今回…事件についての真相は分からないので、ここに書き記すべきではないが、社会に蔓延する希望格差は、決して無視して良いものではない。
そして、「日本やばくね」で思考停止してはいけない。「やばいやばい」と有事をあおって、集団同調性バイアスに陥って、みんなで一緒に不安になっていたら、実態のない恐怖に駆られるだけだ。

(…とは言え、週末に電車乗った際、言葉にならない恐怖に駆られた。周りに怪しい人がいないかキョロキョロしまくった僕が、多分イチバン怪しかったと思う。)

やばいやばいと嘆くのであれば、どこが、どうやばいのかを、そろそろ本気で考えるべきではないだろうか。

世の中に目を向ければ、日本の子ども(17歳以下)の相対的貧困率は13.5%(2018年)で、なんと7人に1人に及んでいる。世界的に見れば格差が小さいと言われる日本においても、貧困率は先進国34カ国中10番目に高く、深刻な問題となっている。

中学・高校と不自由なく学ぶ機会を得た私たちは、大半が「ラッキー」なだけ、である。たまたま、学ぶ機会に恵まれた環境に生まれただけ、である。その「ラッキー」は、誰かに盗られないように、自らの懐に隠しておくべきであろうか。

校是でもある「異質の他者を認める」ためには、勇気が必要だ。なぜなら、他者を認める、受け容れるということは、場合によっては自分自身を変えなければならないからだ。

自分自身は変わる気もなく、当事者意識も持たず、不安を煽るだけの存在になるな。

ノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサは、あるとき「世界平和のために、私は何をしたらいいでしょうか。」と問われ、次のように答えたという。

「あなたの家に帰って、あなたの家族を愛してあげてください。」

今年度がはじまった頃、クラスづくりにあたり心理的安全性について強調して伝えたつもりだ。

平和も、安心安全も、まずは身近なところから築き上げること。目の前の人を、そして自分自身を大事にすることと、世界の平和は地続きである。

最近、英語では未来のことを“futures”と複数形にする場面があると聞いた。

未来は、一つじゃない。

Dawn to be a Doer.

もう一つの未来を創り出すために、私たちは、何をすべきだろうか。何ができるだろうか。


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