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「ご感想への返信2023」No.10

「ゲイなんだ!いいと思う!」と安直に反応することがあまり良くないという一つの考え方について、そうはいっても相手も思いやりでそう言っているということも理解している。そのカミングアウトが単なる自己開示としてのカミングアウトなのか、助けを求めるカミングアウトなのかをまずは確認することがいいかもしれないというお話で、セクシャルマイノリティの観点ではないけれど、自分も同じような感覚があって納得できました。私は〇〇〇〇〇〇(←講師判断で伏せました RYOJI)で、それを打ち明ける人はより仲良くなりたい人、この人なら言っても大丈夫と思った人に、と特別な配慮などの期待をするわけではなく打ち明けます。結局、すんなり受け入れられても、大げさにリアクションされても、共感を示されてもなんとも言えない気持ちにはなるけれど、大事なのはその根底にある自分への思いやりの存在なのかなと考えました。

学生の感想から

 いただいたご感想は基本的にそのまま……なのですが、今回はあなた個人が特定される可能性をかんがみて一部伏せています。意に沿わなかったらごめんなさい。


 「ゲイなんだ! いいと思う!」という反応については一概に「ダメ」とすることに常に悩みながらなのですが、悩む理由は書いて下さった通りで、関係性とか「その言葉に至る」厚みとか深みとか、寄り添う気持ちの有無とか。あったりなかったりすればこそ、OKな場合もNGなケースもあるからなんですね。

 しかしそれでもやはり、社会に抑圧構造があって、抑圧する側に配された者と抑圧される側に配された者が存在する時に、「抑圧する側に配された立場にある人」が存在と生存にかかる領域について「OKを出す」という構図は避けて当たり前だと私は考えるし、そうした講師の考え方に触れてほしいと思うわけですね。現実に、マジョリティは簡単にマイノリティの「存在や、生存を」脅かすことができる。実際「ゲイなの? ダメじゃん」という言葉で簡単に居場所を失くしてしまうものなのであれば、「いいと思う」という「許可」だって脅威になる/なっている。「言う側/言われる側」という固定された関係性が脅威なんだということですね。

 「なんであなたに認めていただかなきゃいけないんですか」って言えるくらいマイノリティが強くなればいいけど、緊張感が今はあるよね。だから私は「多様性を認めよう」という言葉が嫌いだし(神か)、人を「認めてさしあげる側」と「認めていただく側」に分断する罪深さ、愚かしさを思う。「存在と生存にかかる問題」では、注意深くならないとね。「あんたもシス‐ヘテロでいいと思うよ、いいんじゃない別に。誰にも迷惑をかけなければ」とは、言われないわけでしょう。「気にしないよ」も言いがちだけど、その言葉でこちらは自動的に「一般には気にされる存在」に位置づけられるわけで、何でそんな立場におかれなきゃいけないのか分からないんだよね。

 こういうことは(ゲイとして)マイノリティに「なぜ君たちは喜んでいるのか」みたいに言おうとは思っていなくて(言うべきかもしれないけど)、どちらかというとマジョリティとしてマジョリティに言って行きたいこと、なのかもしれない。「大事なのはその根底にある自分への思いやり」と書いてくれたように、マイノリティがそれを感じ取れる/受け取れること(感受性を失わないこと)も、あっていいようにも思うしね。


 ただ、どうしても「私はあなたがゲイでいいと思っている」と言わなきゃいけない局面もある。例えばそれは、ゲイであることが悪いことで、社会全体が敵だと感じているゲイに出会った時。でもそういう人がカミングアウトする可能性は低いので、その時のためにその言葉を準備しておく大切さよりは、「不用意に不必要でぶしつけな」発言をしないように忘れ去る方がいい気がします。「ゲイでもいい」なんて当たり前のことなんだから。


 「より仲良くなりたい人、この人なら言っても大丈夫と思った人に、と特別な配慮などの期待をするわけではなく打ち明け」ているという部分、共感しました。そういうもんだよね。仲良くなれば、もっと近くなりたくて、言いたくなる。なぜ伏せておかなきゃいけないのか分からなくなる。むしろ言わずにいることが、こっちから作った壁みたいで、気持ち悪いんです。

 人々がカミングアウトの達人になりますように。受信でも発信でも。


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