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文筆家冥利。 −9年越しの約束−(後編)

そして時は、春先の浅香弘能からの電話へと飛ぶ。二人だけのことにしておきたい心の交流を詳らかにはしない。
ただ、少なくとも、彼がこのたび作品集を出版するにあたって、私の文章を使ってよいか、という許可を求める連絡だったのだ。
確かに、当時は私の文章に力が足りなかったのか、あるいは使いどころがないのかもしれぬと思って、申し訳ないことだと己の不足を考えたこともあった。同時に、逆に一度贈ったそれがどこで使われるかをいつまでも追いかけることは本末転倒であり、同時にどこかさもしい気がして、実際のところ私自身もそのことを忘れていたのだった。
電話口で曰く、ようやくあの文章を載せるだけの舞台が整った。お待たせしました、と。その言葉に、私は思わず声を失った。

私の許可?そんなものは微塵も必要でない。かえって、そんな大切な集大成を、私の文章が邪魔してよいものか。いやそれ以前に、そんな遠い過去の一方的な押しつけを、違わざる約束として彼は9年も抱き続けてきたのかという事実に、胸が熱くなった(こういう表現を私は好まないが、しかしここではこう説明するしかないのだ)。
いまどき、このような律儀な人は稀有だ。しかしよく考えれば、そうした人となりが十分に、存分に、何度も見てきた彼の作品から横溢していたのではなかったか。

そこからは現実的な話である。なにしろ遠い昔の文章だ。私の文体は、もう20歳になるまでには出来上がっていたから、それは更新の必要がない。しかし、書いた内容については、時事的な記述をはじめ、手直しの必要があった。そして今回は、拙文が英訳もされるということで、そうした点からも手入れの必要性を感じた。

改めて読み直すと、勝手な文章である。これを翻訳する人は、相当な変態に相違ない。だが、訳文が上がってきて一読、二読。
よくも私の文章をここまで翻訳したものだと心底脱帽するしかなかった。なにしろ、書いた本人が、英語で読んでも自分の文章だと思えるほどの精度の高さなのだ。聞けば、村上隆氏の「カイカイキキ」を手がけた翻訳家だという。なに、やはり高度な変態、で間違いなかった。その美意識とスキルの高さ、日本語や日本文化への造詣の深さ、教養と情熱の密度、妥協を許さない仕事ぶりで翻訳いただけたこと、これもまたもうひとつの文筆家冥利、なのである。

私自身の作業で言えば、内容の微細な更新も、いざ手がけると細かいところだけがやけに気になる。とはいえ、彫刻家をして「9年前に、その後の自分を予言されていた」というのだから、大筋を変える必要はなかった。
その後も、この作品集に関わるそれぞれがそれぞれの場所でそれぞれの苦しい作業を楽しむだけだ。これらもまた、あえて詳らかにする必要はないだろう。

そうしてついに、先ごろ出版された作品集がわが手に届いた。封を開けて、とにかく美しい本だ、と思った。私自身本が好きで、実際書籍の編集も手がけたこともあったが、これだけ美しい本を、久しぶりに手にした。そこに込められた苦労、創作の足跡を知るからこそ、また艶も増す。
「これが今の自分の精一杯」と彼は言う。なるほど、9年前に私が文章を彼に贈った際に、私が口にしたのと同じ言葉だ。

こうやって、その時の精一杯をぶつけあえる関係というのはこれまた稀有なものだと思う。何しろ彼とは、所謂世俗的な付き合いなどほとんどないのだ。夕食を一回ともにしただけで、その後酒を酌み交わすこともなく、明け方の街を肩組んで歩くような思い出もないのだから。
それでも、これほどまで揺るがぬ、人生の根幹に直結する信頼と紐帯を維持し続けられることは、物的な距離の遠近など、絆の前にはあまり役には立たぬということの証左なのかもしれない。(了)

※前編はこちら

Photo by Monoar_CGI_Artist,Pixabay


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