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ドアと鍵の物語〜序章

ある部屋への入り口としてドアがある。その部屋には何か目的があり、そこへいくことでその目的が達成される。例えば学校の入り口。建物の地上階に人がアクセスするための場所がある。その建物に入るためにはドアの前に行き、ドアを開け、開いた空間を通り中へ進んでいく。そのあとは目的の場所へ行けばよい。目的の場所にさらにドアが設置されていることもあるし、ドアなんてないこともある。学校の場合には営業時間内に入り口にアクセスする必要がある。学校が休みの日曜日に教室に行こうとしてもドアには鍵がかかっていて入れない。そもそも授業がないから行っても仕方ないのだが。

鍵は、この中には入れませんよ、と言うサインだ。お店でも同じ。パン屋に行ってパンを買おうと思ったらドアが開いている時間にドアの前に立つ必要がある。時間を間違うと入れない。ドアと時間は紐づいていることが多い。

一方でいつでも入れるドアがある。自宅のアパートのドアだったり、車のキー、そして職場の鍵などがこれにあたる。あなたはその場所にアクセスする権限を100パーセント与えられていて、いつでも好きな時にそこへ行ける。鍵とはなんだろう?自分のエリアであれば他の人が許可なく入って来れなくするものだ。入り口で誰であるかを告げ、許可を得られれば中に入ることができる。

時間に紐付いたドアには、電車や飛行機、そしてバスなどの公共交通機関があるし、多くの施設がこれにあたる。図書館へは開館日に行きましょう、と言うわけだ。

人との出会いはどうだろう?我々はいつ誰と出会うかを出会ったその瞬間まで知ることはない。たまたま同じクラスにいたり、たまたま同じ飛行機に乗り合わせる。たまたま同じ日に外国で同じホテルに泊まり、その日話をしたことから関係性が始まる。偶然のイタズラによって。なんとなく気になるからそこへ行く、そして誰かと話をする。そのまま終わることも多い。でもそこから関係が始まることもある。出掛けていかなければ何かが始まることはない。外の世界へ出掛けて行って偶然訪れる機会をぜひ活かそうではないか。この世界は偶然の折り重なるミルフィーユのようなものだから。偶然の積み重ねのケーキを味わってみよう。美味しいか美味しくないかそれは食べてみないとわからない。美味しければその体験を、不味ければそれが記憶に残るだけだ。全ては体験することで世界を遊ぶことができる。

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