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サイゴンの夕暮れ

午後の早い時間に窓から見えた景色は大都会そのもの。28階のロビーだから階高4メートルとして高さ120メートルほどはある。さっきまでいたマーケットの一帯がミニチュア模型のように上空から眺められる。ここからだとハッキリと建物全体が見える。今日の午前中に体験した料理教室の集合場所、マーケットの西門があちらに見える。そして旧正月の大きな黄色い梅が巨大な植木鉢に植えられ、どこからか運ばれてくる。大きな盆栽のような木々は街の至る所に置かれている。旧正月のお祝いムードが街に溢れていた。

ここサイゴンへ呼ばれるようにしてやってきた。2月の日本はまだ冬だし、先週は立春だったから新しい年の幕開けを日本の季節感で感じてはいた。しかしここへ来るとこの街に四季はなく、季節といえば雨季と乾季の繰り返しがあるのみだという。日本では旅行シーズンではない今がここでは1番過ごしやすい季節。旧正月のドラゴンの飾り付けがホテルの前の大通りに置かれている。竹でできた大きなオブジェが残るこの週末、街も人も1週間の休暇中であった。今日で休暇が終わる。

28階のロビー、この高さからだと夕暮れの街並みが動画のように観察できる。建設中のビルは先ほど階下で見たときにはピンクに光っていた。地平線まで広がるこの街は発展を続けている。遠くの空は曇っていて夕陽が滲んでいる。昼間の空は快晴だったが、この空気の見え方からすると大気汚染があるのかもしれない。何かに呼ばれて、ここからこの夕陽から始まるストーリーを書けと言われている気分になる。すぐに立ち去ろうとするが、呼び止められて、コーヒーを飲む。ここに小一時間留まり日が沈むのを眺めて過ごすことになった。

ホーチミンと呼ばれる街を人々はサイゴンと呼ぶ。新しい名前になってもジャングルの街という意味の旧名を人々は使っている。何十年も経っても昔の名前で呼ばれる街。ムンバイがもうボンベイと呼ばれないのと対照的だ。

東南アジアという恣意的につけられた地域名はベトナム戦争が遥か昔に終わった今、もう使う必要はない。ここはアジアの一部で熱帯の都市だから昼間は暑く、30℃を軽く越えてくる。温度が上がる10時から3時までは外を歩くとあっという間に汗が出てくるし、タクシーであったとしても移動自体が不快な行為だ。とにかく暑いのでプールサイドで過ごすのか、エアコンの効いた室内で過ごすしかない。

暑くて思考が停止する。2人乗りのバイクが夕方から夜にかけて通りを埋め尽くす。何度も通ったバンコクを思い出した。住んでいたかもしれないタイの首都。官僚だった父の海外勤務を住みたくないという理由で断った母の選択が日本から出なかった私の子供時代を作った。バンコクで過ごしていれば、別の人生になっていただろう。そして大人になっても日本には住まなかった気がする。そしたら今の私はなかっただろう。バンコクやシンガポールが地理的にアジアの中心だから極東の日本は最果ての地だ。アジアの中心から遠く離れたはるか彼方の日本、あらゆるものが流れ着いて留まる国。私はそこからやってきた。

観光客で溢れる日本の京都には中国の唐の時代の面影も残っているし、日本の家庭料理のお浸しなんかは遥か昔の中華料理の影響があるらしい。油で炒める調理法の前の時代の食べ物だ。

日本の都市にはそれぞれ特徴はあるが、国外に比べるとその変化は繊細なもの。日本ではどこへ行っても信号とタクシーメーターが働いている。アジアのどことも違う国、日本。世界遺産のない街で世界遺産を巡る旅を始めることにする。訪れるべき中部ベトナムへは今回は行かないし、すぐにまた来るかどうかもわからない。あの後日は暮れ時はすぎ、夜明け前になった。2024年2月18日。朝4時11分。日本との時差は2時間。日本は朝の6時すぎ。

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