kumajiro

2022年から真我なるハートで奇跡講座を学んでいます。

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2022年から真我なるハートで奇跡講座を学んでいます。

最近の記事

もーウンザリ!

コースにうんざりした。 コースが促してくるもの、偽りの自己像、プライド、分離の維持を手放す。。自分の真の望みは何かを明確にする。。うんぬんかんぬん。 でもあんな膨大な言葉で言われたら、正直頭ん中思考でいっぱいになる。 対処しきれなくて、でも対処しなければならないと必死になって、 何してたかって、自分の正直な気持ちを感じるのをやめていた。 この世を見るのに、いちいち理解してもいないコースのフィルターを持ち出していた。 自分の正直な気持ちをおいてけぼりにして。 今私がしたい

    • 単純にイヤです

      私はウンザリしている。 この内から絶え間なく浮き上がる恐怖に、終わりの見えない苦しみに。 誰ともコミュニケーションが取れない孤独に、誰とも心通わすことのできない毎日に。 嫌うことはそれを実在化させること、 自我は無、恐れは愛と助けを求める泣き叫び。 そうなのかもしれない。 でもそれ以前に私はもう嫌だ。 恐怖も苦しみももう嫌だ。 ただただ嫌なんだ。 もっと正直になれ、私。 真我なるハートで教えられていることと真逆でもいい。 いまここにある気持ちを認めろ。

      • 憎悪の大合唱

        コロナと肺炎になった母の退院が無意味に遅れている。 入院先や訪問医師はOKを出してるのに、施設担当者だけが母の体調が万全になるまで受け入れようとしない。 退院許可が出たのに、以来既に1週間、母は更なる時間を 真っ白い壁に囲まれ、物音しない個室で来る日もたった1人で ぼんやりと過ごし、認知症は進んでいくばかりだ。 担当者への怒りで煮えくりかえる思いが沸き、平安へのツールをやってみた。 ツールの「私はこの感情を望みません」の一文を読んだ時に出てきたのはこの感情だ。 いや、私

        • 洞窟の中に

          「愛と助けを求めてる声を刺してたって、すごいことやってたな」って。 「そう、お前は黙ってろ。いいから下がってろよって洞窟に追いやって 手榴弾投げ続けられるみたいな」 https://www.youtube.com/watch?v=CsCRV2NJwEI&t=334 この瞬間も湧き上がってくる恐れに対して、私これをやってたなあ。 怖くて必死で蓋をして、黙れ!!! いいから黙ってろ!!! って叫んでいた。 そっと近づいて手をとりたいな。 まだ怖いからそっと、少しだけ。

        もーウンザリ!

          必需品?

          最近ことあるごとに涙が出てばっかりだから買った。

          必需品?

          棒人間

          私は棒人間。 他の人は分厚い肉体を持ち、暖かい血が流れ、 生き生きとした命を宿しているのに、 私は紙に書かれた棒人間だ。 うすっぺらで、風が吹いたらた易く吹き飛ばされる。 「あなたって偽物だよね」って言われたら 「はい、その通りです」って言うしかない。 私の奥底にいる私は、惨めで、嘘くさい、うすっぺらな 棒人間だ。

          自己像:嘘つき

          平安へのツールをした。 「なるほど。。と思った気づきを使って人にアドバイスしようとする」 がテーマ。一日のうちにも何回も繰り返されるパターン。 「私は正直でない。誤魔化し責任転嫁する人間だ」 が出てきた。 ずーっと、ずーっと握りしめてきた信念。 正直でありたいとずっと思ってきたし、この世的には馬鹿正直らしい。 でもそれと真逆の自己像が奥に横たわっていたんだ。 うっすら気づいてはいた。 私の言う事、することなすこと嘘くさい。 嘘じゃないのに嘘くさい、取り繕っていてうすっぺら

          自己像:嘘つき

          楽になるでも、優しくなるでもなく

          いつもいつも胸の辺りにうごめく、圧倒されるような恐れ。 心の中の絶え間ない葛藤。 これがなかったら、楽になる。周囲とも仲良くなれる。 世界を、やさしい眼差しで見れるようにもなるかもしれない。 でも、私の本当の願いはそこじゃない、 「楽になる」ことじゃないみたいだ。どうも。 自分の本来の姿に戻ること。 そのために訂正を受け入れること。 ずっと間違いが訂正されるかはさておき、楽になり、優しくなればいいと 思っていた気がする。どうも。 訂正を受け入れたい、ただ本当の自分に戻

          楽になるでも、優しくなるでもなく

          先を急いでない

          私は先を急いでない。 のろのろ、だらだらと進めばいいと思ってるようだ。 一応進んでる。 方向もそれほどは間違っていない。 「Take me home」の曲を聴いて、Skylar Greyの「coming home」を聴いて、そうだよね、私も同じって思って、今日を終える。 ちょっと手応え感じたし。ちょっと進めたし。 イエスは先を急ごうって言ってくれてる。 そして私も本当はもっと急ぎたいんじゃないだろうか。 今日はふとそんな気がした。

          先を急いでない

          ありがとう

          母に、ありがとうという気持ちが湧き上がってくる。 憎しみしか感じていなかった母に。 あんなのが親なら、孤児になった方がずっと幸せだったはずだと 何度心の中で繰り返したかわからない。 神に愛されているかは、まだわからない。 でも母には確かに愛されていたと今は感じる。

          ありがとう

          ただ愛で包むだけ

          「自我から言えば神はお前を罰しに来るぞ、と恐ろしいもの。 けれど本物の神は愛なので、裁かないし罰しないし、攻撃しない。 ただ愛で包むだけ」 ただ愛で包んでくれる存在がいるのだろうか。 この動画の、この箇所を聞くと涙がとまらなくなる。 今スタバにいるのに〜😣 https://youtu.be/7bF8RtYxubI?si=nUhPA4172sXF982-

          ただ愛で包むだけ

          正面にあるもの

          インスタをいじってると、フランシスの死に関する記事が出てきて、数日前に読んだけど、改めて読んでみた。 「神の子は体ではない。死はない」 フランシスが病気の診断を受けた後の様子が書かれていた。 記事を読んだ時に、心の底に横たわっている、体ではない存在を感じた。 そして私の心はそこから目を背けている。 首をぐいっとひねって、違う方向を見ようとしている。 慣れ親しんだこの世界の喧騒の方に目を向けたがっている。 もう首の筋肉が疲れた。素直に真正面を見たい。 イエス、助けてくださ

          正面にあるもの

          As a deer

          短い間クリスチャンやってた時に好きになった讃美歌です。 「水を求めてあえぐ鹿のように魂はあなたを求める。 私を満たすのは、金、銀ではなく、あなただけ」 この曲を聴くとなぜか涙が止まらなくなる。 私が知らないことを魂は知ってるのかなあ。

          からし種の大木

          心の底に蓋がある。 蓋の下には何か。どでかいもの。小さな空間にとても入りきらないもの。 蓋を開けてしまったら何万倍にもおおきくなってしまうもの。。がある。 そんな感覚がある。 こわい。でもある。ないことには出来ない。

          からし種の大木

          お勉強好き

          学校の勉強はサボり倒したけど、でも勉強自体は嫌いじゃなかった。 少しずついろんなことが理解できるようになるのが面白くて、 成績の順位が上がるのが面白くて、受験勉強は割と楽しんでいた。 さっき、ふと気づいた。 あ、私コースの学びを勉強のように楽しんでる。 コースの教えが、ある日ふと腑に落ちたり、ほんの少しずつ心が軽くなっていく。兄弟と比較して優劣をつけたりする。そんな小さな事を楽しんでるだけだ。 私は神の方になんて向かってない。 神との一直線のつながりなんて求めていない。

          お勉強好き

          たこ焼き屋さん

          もう終わったことだから、と触れることを避けてきた母親との葛藤の蓋を開けてみた。 怒りが止まらない。悔しさがとまらない。殺意が止まらない。 思わず、ではなく積極的に私を傷つけ続けた母、何をどうやってもNoとしか言わない母。そんな自分を、みっともないほど正当化する母。 人間関係は食うか食われるか。私の中に凄惨な戦場の風景を植え付けた母。 そんな時に見つけた記事。 辛かった子供の時、と言われて思い出すのは、駅前に時々来てた屋台のたこ焼き屋さんの前で、たこ焼きができるのを待ってい

          たこ焼き屋さん