カップラーメンのフォーク

 夜中に目が覚めた。腹が減っていた。昼間にキエフ市内を歩き回り、丘の上のおそらく正教系の教会、大人の背丈ほどのしょんべん小僧のオブジェやタイル張りの遊具が並んだ公園などを観光した。夕方にホステルに帰ってきてベッドに横になり、そのまま寝てしまった。2段ベッドが4台並んだドミトリールームはすでに暗く、両隣のベッドから寝息が聞こえてきた。腕時計のライトをつけると24時を回っていた。近所の飲食店はとっくに閉まっている。キエフの中心部まで行くのはさすがに面倒だし、行ったとしても営業中の店があるかどうか定かでない。ふたたび眠気が襲ってくればと期待して目を閉じたが、空腹が先に立った。

 カップラーメンがあったはずだ。仰向けに横たえていた体を回転させて、右手をベッド脇に置いた食料品を詰めたビニール袋を探った。に突っ込んだ。インスタントコーヒーの瓶が倒れてティーパックの袋に当たり、チョコバーやスナック菓子の袋がこすれ合った。暗闇の中で響くシャカシャカ音は蛍光灯の下で聞くよりも大きい。音を立てないようにできるだけゆっくり手を動かしながら目的の品を取り出した。ベッドから起き上がり、携帯電話の明かりを頼りにベッドの間隔を確かめ、足の踏み場を探しながら部屋を出た。廊下は暗かったが、居間の扉の隙間から明りが漏れていた。まだ起きている同宿者がいるのだろう。話し声は漏れてこなかったので、一人旅の誰かか、一人旅の誰かと誰かが別々にネットサーフィンをしているか、本でも読んでいるのかもしれない。扉の前を素通りして奥に進んだ。

 キッチンは暗く、貸し切りだった。明かりをつけて、ダイニングテーブルにカップラーメンを置いた。蛇口をひねって電気ケトルをすすぎ、ふたたび水をそそいでからコンセントにつながる台座に置いてスイッチを入れた。湯が沸く時間と、その後の3分を待てさえすれば腹が満たされる。カップラーメンはいつだって旅人と貧乏人にやさしい。

 商品名なのだろう。ふたには見覚えのあるフォントのキリル文字が記されていた。なので、カザフスタンやロシアで食べた物と同じカップラーメンだと思った。かむと粉っぽさが歯に触るちぢれ麺に、白濁した塩気の足りないスープ。日本製とは比べるべくもないあの味だろう。そう考えてふたをめくった。

 あるべきものがなかった。いや、日本では無くて当たり前なのだけれど、これまで巡ってきた中国、カザフスタン、ロシアでは当然のように入っていたフォークが見当たらなかった。不良品か? そう思ったけれど、スープの小袋はしっかり入っていた。フォークだけ入れ忘れることがあるだろうか。

 プラスチック製で、三又の先端と柄の部分が二つ折りに分かれていて、水平に連結するとカチッと音をたてて形をなすフォークが入っているはずだった。先端は短く、麺を絡め取るには何度も回転さなければならなかったし、絡め取っても強度不足でしなってしまってすぐに口を近づけないと麺がすり落ちた。全長は短くて容器の深さに対して物足りなかった。

 頼りない代物だったが、それでも重宝した。中国西安からウイグル自治区ウルムチまで。カザフスタン・アスタナからロシア・カザンまで。ロシア・エカテリンブルクからヴォルゴグラードまで。いずれも寝台列車で2泊3日ほどの行程で、カップラーメンはユーラシア大陸を移動するときに買い込んでおくべき必需品だった。

 一方、モスクワからキエフは夕方に出て朝に着く距離で、キエフから西のリヴィウはさらに近かった。そして、キエフでもリヴィウでもカップラーメンにフォークは入っていなかった。

 西に向かっていた。国境線の間隔は狭くなり、ウクライナを境にカップラーメンの中からフォークが消えた。ヨーロッパに近づいていた。あるいはヨーロッパが始まったのかもしれない。

 カップラーメンに湯を注ぎ、3分待つ間にキッチンの棚から銀色のスプーンを探し出した。味は想像通りだったけれど、いつもより食べやすかった。

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