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クリミア併合後、ウクライナ侵攻前のロシア

2018年6、7月

  「次の休暇はクリミアに行くの。ロシアからの橋が完成したから」。
 チェコ産乗用車の助手席に座るターニャが後部座席を振り返って笑顔をみせた。
 「クリミアは知っているよ。前はウクライナだったんだよね」。
 既知の情報を口にしただけのつもりだった。
 「前の前はロシアだ」。
 ハンドルを握るビタリが反応した。
 気まずい雰囲気を感じたが好奇心が先に立った。
 「ロシアとウクライナの領土問題についてどう思う?」。
 彼の答えは「ロシアとウクライナは兄弟なんだ」。
 「ロシアが兄でウクライナが弟?」。
 「そうだね。ウクライナはときどきそう思わないみたいだけど」。

 ビタリとターニャは、クリミア半島の東、黒海沿岸のクラスダノールに暮らす30代半ばのロシア人夫婦で、夏のバカンスでロシア南西部を巡っていた。第二次世界大戦で激戦地となったヴォルゴグラードで知り合い、次の目的地が同じロストフ・ナ・ドヌだったために誘われるままに6時間のロングドライブに便乗させてもらった。

 クリミア半島は2014年にロシアが一方的に併合した係争地なことは知っていた。ソ連時代にロシアからウクライナに移管された経緯があり、ビタリが強調したかったのはこのことだったのだろう。

 次の旅行計画について話すターニャに後ろめたさはなく、クリミア半島がロシア領なのは当然と思っているようだった。しかし、西側メディアの情報に触れている私はその前提を共有していなかった。

 しばしの沈黙の後、ビタリとターニャはロシア語で話し始めた。想像するに「ドライブ中に政治の話なんてしないで」とターニャ。「はっきりさせておかないといけないこともある」と愛国心がうずいたビタリ。車内は再び静かになり、政治的な話題はここまでだった。


 クリミア半島については、ロシア第三の都市カザンからウラル山脈東側のエカテリンブルクに向かう列車の中でも話題になった。会話の相手は20代の男性2人。大学卒業を機に故郷を離れ、高給が得られるというシベリアに赴任する途中だった。

 彼らはロシア系民族が多数を占める人口構成からも歴史的経緯からもクリミア半島はロシアに帰属すべきという意見だった。私が「次はウクライナに行く」と予定を伝えると、「国境は安定しているが難しいかもしれない」「少なくとも俺たちは行けない」と話した。2人の英語は私以上にたどたどしく、ウクライナ側が入国を認めていないのか、ロシアが出国を認めていないのかは分からなかったけれど、ロシア人がウクライナに入るのは難しいだろうことは理解できた。

 ちなみに北方領土については「返していいと思う。俺たちの大統領はそう思っていないけど」とどこか他人事だった。加えてステレオタイプなイメージを伝える欧米メディアについては「ロシアが怖いという情報ばかりを流している。ロシア人はウォッカばかり飲んでいると思われているけれど、毎日は飲まない」と憤っていた。


 政治的な話題で最も盛り上がったのはヴォルゴグラードのショッピングモールだった。最上階のフードコートに座ってアメリカ資本のファーストフードのポテトをつまんでいると、3人組の男子高校生が声を掛けてきた。

 3人とも現代史に詳しくて話題はソ連の歴代指導者に及んだ。ロシア各地に像が立つレーニンについては見解が分かれたが、後を継いだスターリンについては否定的な意見で一致していた。

 場があたたまってきたところで「プーチン大統領についてどう思う」と聞いた。一瞬、彼らが尻込みするような間を感じたので「難しい質問だった?」と聞くと、返ってきた言葉は「ノーノー。ベストクエッション」。目を輝かせて政権の悪口を言い募った。

 いわく「憲法に言論の自由が記されているのに今のロシアにはない」。「テレビニュースはプーチンを批判しない」。「インターネットをポリスが監視している」「批判的なことを書くと2週間から数年間収監される」。

 「インターネットが監視されているのならどうやって情報を得ているの?」と聞くと、「アノニマスグループが情報発信している」と教えてくれた。

 周囲の目が気になったので「ここで話すのは大丈夫なの?」と聞くと、「ポリスがいないから問題ない」。

 経済的な興味関心もおうせいで「日本の給料はいくら?」「年金はどのくらいもらえる?」と聞かれた。母国の先行きに不安があるのだろう。「将来はイギリスかスウェーデンで暮らしたい」と展望していた。


 ヴェネチアとベニス、ウィーンとヴィエナは分かりやすいが、ミュンヘンとミューニック、クロアチアとクロエイシァは馴染みがない。カタカナ語と英語で発音が異なる地名は多く、英会話中にノッキングを起こすことは珍しくない。Ukraineも同様だった。

 モスクワのホステルの共有スペースでロシア語と英語が堪能なインド人と英語で話していたときだった。彼が発した「ユークレイン」という単語を理解できなかった。意味をたずねると、彼はいぶかし気な表情で「次の目的地だろう」と話した。彼とは前日にも互いの旅について話していて、そのときは会話が成立していた。それなのにあらためて意味を聞かれたのだから困惑するのはもっともだ。ただ、前日はUkraineを「ウクライナ」と発音していたはずで、彼の頭の中はいつの間にやら通常の英会話モードに切り替わっていた。一方、私の頭の中はカタカナ英語のままだった。

 日本人は現地語で地名を発音することを伝えた。母国語に加えて英語もロシア語も操る彼にとって複数の発音を使いこなすことは当たり前なのだろう。英会話に不慣れな日本人を前に首をかしげた。

 日本人とインド人が「ユークレイン」「ウクライナ」と連呼していると、風が吹いて桶屋がもうかった。近くに座っていたホステルのロシア人スタッフが突然「ウクライーナ!」と語気を強めて立ち上がった。

 ロシアのホステルはウェブサイトに英語可と記されていてもその心はグーグル翻訳を指していて、英語を話せるスタッフはほとんどいない。モスクワの彼もそうだったのだが、隣国の名前は理解できたようだ。

 あっけにとられた日本人とインド人の耳目がロシア人に向いた。スキンヘッドで筋骨隆々の彼は、太い腕を動かしながら何事かをまくし立てた。何を言っているのか私には分からなかったけれど、おそらく隣国の悪口で、嫌悪感を表現していることは伝わってきた。ただ、ここには矛を受ける者はいなく、ショートスピーチはホステルの空気を震わせただけで終わった。インド人はこちらに向き直り、やれやれといった様子で「彼は愛国者だ」と簡潔に翻訳してくれた。


 モスクワからキエフまでは1泊2日の列車旅で、国境には夜中に到着した。シベリアに向かう若者たちが列車での国境越えは難しいかもしれない―と言っていたので少し心配だったが、線路は国境線があいまいになった紛争地域よりも北側を走っていたようだ。

 車内が明るくなり目を覚ますと列車は止まっていた。しばらくすると、2段ベッドが2つ並んだドアのないコンパートメントに当局職員が現れた。ベッドから体を起こしてパスポートとロシアでの滞在証明書を手渡すと、すんなりスタンプを押してくれた。ウクライナ側も問題なく通過できた。

 それでもロシア側ではウクライナ人が、ウクライナ側ではロシア人が、パスポートとは別の書類を提出していた。荷物の中を調べられるのは当たり前で、ほとんど嫌がらせのようにベッドのシーツをはがされている人もいた。
 
 クリミア半島併合後、ウクライナ侵攻前のロシアに1カ月ほど滞在した。入国前に抱いていた無愛想な国民性というイメージに反して親切な人が多く、市民が政治的な問題に口をつぐむような閉鎖的な雰囲気は感じなかった。

 海の向こうで戦争が始まり、ターニャとビタリが渡ったであろうクリミア大橋には穴が空いた。シベリアに向かった彼らは赴任地でそれなりの生活を送っているだろうか。ヴォルゴグラードのかつての高校生たちは徴兵を逃れて早々に国外に逃れただろうか。モスクワの愛国者は進んで戦地に向かっただろうか。ロシア語と英語が堪能なインド人は外商交渉に精を出しているかもしれない。モスクワとキエフの往来は止まり、観光客はいなくなった。

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