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やりがい対価とお金対価について

こんにちは。りりむです。この記事はアラサー単身移住者の私が日々のこと、気づきなどについて書いています。
さて、先日同年代の同僚?友人?と食事をしていきました。

友達はこの4月からフリーランスになる予定で、私たちはよく自分たちの近況や考えていることを共有しあう仲です。

友人の仕事は「場所」「空間」「非日常」みたいなものを提供するレジャー宿泊業で、私の仕事は「体験」「商品」「非日常」を提供する仕事なので、この4月から色々一緒にやってみようよという話をしていました。

もともと、私も彼女も社会貢献とかそういうことに対して自分の想いがあるタイプなので、例えばこどもや親と子、赤子に対して自分のサービスをお金という対価ではなくやりがいという対価で受け取ることを選択するタイプで。

私のサービスを彼女のフィールドで提供するとお互い相乗効果がありそうだよねっていう話になった。

そこで、やりがいの話になって
私が「最近親子向けに安価で体験サービスを提供したけど、安価ゆえに儲けはあまりなくて、その割に大変で、ちょっと疲れちゃった。」ということをこぼした。
そしたら友人が「やりがいだけでは、食べていけないよ。」と。
「自分のサービスを社会貢献的に提供しすぎると自分の中のものを出す、出す、出す、ばかりで、サービスを提供するだけになり、金銭的にも精神的にも、持続可能じゃないよね。」と言っていて、確かにそうやなあ。と納得。

自分のサービスの値段をつけるのが苦手な私。
・初めての取り組みだから、この値段でやってみよう。で安価に設定。
・こどもむけだから、(親子世代を応援したい)安価でやってみよう。
・自分のサービスを見てきてもらえないよ困るから、安価でやってみよう。

値段を下げる理由って実はいっぱいあるよね。
でも、やりだしたら、
・こんな価格で、この人数を毎回さばいていくの大変だな。
・自分が試作に費やしている時間て一体何なんだろう。
どんどん自分の時間、お金、精神力を持ち出し持ち出しで入るものがないから苦しくなるんだよね。

去年はそれで撃沈したので、今年は持続可能な方法でやっていきたい。
そんなつぶやき。

やりがいってい一種の精神力みたいなもので、
その精神力が折れないようにするには、
自分の体のケア、精神のケア、リフレッシュが絶対必要。
体のケアに、栄養のある食事、良質な睡眠、精神のケアに、読書、リフレッシュできる外出、レジャーが必要。
そしてそれには、必ずとは言わないけれど、きっとやっぱりお金というものも必要なんだよね。

だから、お金としての対価、やりがいでの対価、どっちも大切だし、
友達は、私から友達の施設に対する対価をやりがい対価でもいいよと言ってくれるけど、私は友達だからこそ、お金としての対価でも支払いたいと思っている。