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『養生訓』を読んで「健康」を考える


※本の内容のネタバレ含みます。

岩波文庫の古典を久しぶりに読んだ。前に読んだのは何だったっけか。『国家』だったような気もする。



最近「健康」という概念を念頭において生活している。その一環として、どうやら健康についての古典らしき本を一冊見つけて読んでみた。それがこの養生訓だ。

江戸時代に書かれた本らしい。今から200年か、それ以上前に書かれた本。

『国家』を読んだ時にも感じたことだが、古典というものを読んでいると、その作者が現代人と同じように考え、感じていることに不思議な驚きを感じる。

自分の祖父母の祖父母の祖父母よりもさらに前の祖先のような人たちが、現代の自分達と大差ない思想を持っている、というのは何だか不思議なことではないだろうか。つい、自分達よりも大きく知恵が遅れているのではないか、という先入観を持ってしまうものだ。


さて、本の内容について書くと、養生の、つまり、健やかに長生きするための、方法について、こと細やかに書かれていた。正直、そんな細かいこと気にして生活できるか、というふうに僕は思うようなことばかりであった。

その中でも特に、養生の原則については何度も繰り返し述べられていたし、それについては自分の経験的な共感もそれなりに感じることの出来るものだったので、読み返さずともここに書けるぐらいに心に残った。

それは、一言で言うと「内慾を慎み、四邪を避ける」ことだ。「内慾」というのは、主に色欲と飲食の欲のことであり、「四邪」というのは、風・暑・寒・湿のことである。


内慾を慎むということについては、昔は分かっていたことなのに、年齢を重ねるにつれて、段々と崩れていってしまっていた訓戒のように思う。

ベンジャミン・フランクリンの自伝にも、彼の独自の13個のルールの1番目に書かれていたのは、「節制」であり、それは、「飽きるまで食うことなかれ」というものであった。色欲についても、溺れることなかれ、みたいなルールがあったような気がする。

これらの原則というのは、やはり、時代や地域を問わず、健康を維持するための普遍的な原則なのであろうか。思い返してみれば、食べ過ぎたな、と感じた後や、自慰に及んだ後、なんだか元気がなくなる気持ちがする。


「四邪を避ける」というのは、「内慾を慎む」ということに比べると、僕の中では健康についてのやや新しい発想だった。もちろんこんなことはよく言われることであり、知識としては知らなかった訳ではないのだが、それでもどこかで認められていなかったような気がする。

それは、「邪を避ける」という行為が、どこかずるくて、卑怯な行為のように思う節があったからかもしれない。小学校の体育の時間など、冬場は上からトレーナーを着てもいいと言われていたにも関わらず、皆んな寒いのを我慢しながら半袖の体操服で運動場に出て行っていたものだ。

とはいえ、別に国も上着の着用を指示したりしていないことを考えると、子供時代はある程度辛い思いをした方が、体の成長や免疫力を高めるためにはいいのかもしれない。

だけど、僕はもう23歳の大人だ。暑い寒いが辛いという気持ちも自然に感じるし、体の成長も止まっているのだから、この「四邪を避ける」というのは大事なことのように思えるし、それを踏まえてライフスタイルを選択していく必要があると感じた。


なんだか当たり前のことを書いているような気もする。こんなことも、行動できるレベルでは理解できていなかったのだな、と感じる。


その他にも、食事や、服薬や、鍼灸やらについてやたらと細かい注意が延々と書かれていた。健康についてこれだけの文章が書けてしまうというのは、もはや手段が目的化しているというか、「健康オタク」なんじゃないかと思った。

あまり考え過ぎてもかえってストレスになって逆効果になるだろうし、これを何度も読み返して頭に叩き入れて実践、なんてことはしないと思う。この作者の貝原という人は、中々に気難しくて頑なな人だと思う。


だけどやっぱり病気で苦しみたくないな、とも思った。これも書いてみれば当たり前のことだが。人はみんな病で苦しんでから過去の生活習慣を後悔する、みたいなことが書かれていてドキリとした。

病に倒れ、苦しむ、なんていうのは、多くの人にとって人生最大の不幸といっても過言ではないのではないだろうか。そんな状態から人を助けるための方法を語っている、と考えると、作者が口煩く語っているのも理解できるような気もする。


古典にしては、割とすらすら読めた方かもしれない。科学的な考え方がまだあまり発展していないかった時代、ということも頭に入れておくべきだろう。

今度は「保健の教科書」とかも読んで、健康運を高めていきたい。


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