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大学時代のテニスサークルのこと

部活を辞めた後、最後まで所属していたのはソフトテニスサークルだった。テニスサークルとは言ってもゆるいサークルで、テニス未経験者が半分ぐらいだったし、テニスをするのも週一で自由参加、月一のイベントだけ来るメンバーも結構いた。

俺はスポーツは好きだし得意なので、テニス自体は楽しかったが、人間関係についてはいまいち打ち解けられず、どこか疎外感を感じながら過ごした。思い返してみれば、この様な状況は今までの人生でも何度も経験している様な気がする。


スキルを磨いて、必要とされる一定の水準に達することについては、あまり困らないのだが、打ち解けられない。みんなと仲良くなれない。人気が出ない。

これは俺にとっては深刻な悩みだった。別に本気でテニスがしたくてサークルに入ったのではない。それは、友達が欲しかったからだ。同じぐらいの年代のみんなと仲良くなりたかったからだ。


そう心では思ってはいるのに、より深い関係に踏み込むための一歩が自分から踏み出せない。いわゆる「コミ障」というやつなのかもしれない。


そんなことを最も痛感したのが、三回生の時の冬合宿だ。一泊二日でスキー場に行った。

そもそも俺は、スノボがあんまり好きじゃないのだと思う。同じことを何度も繰り返すだけで、面白みが見出せなかった。二周目が終わったあたりでもう、うんざりしてきた。

それでも、スキー場にいる間は、「スノボをやる」という名目があるので、まだ楽だった。食堂でみんなで休憩している時は、会話に入れず、どう振舞っていいのかわからなかった。そもそも会話の前提となる情報を自分は知らなかったりして、自分がやはり輪の外にいることを実感して、嫌になった。

宿に戻ってからは、それ以上に地獄だった。「特になにもすべきことがない」まま、時間がもったりと流れていく。みんな寝転がって流行り(?)のソシャゲをしていたが、そんなものやっていない俺は輪に入れない。やっていなくても同じ土俵に乗って楽しめる方法も、思い付けない。

勝手に思い詰めて、「そういうソシャゲはやった後に後悔の念が襲ってくるから嫌だ」などとなぞの私信表明(?)説教(?)を口走ったりして、みんなに無視されたりした。


夕食後の時間に、部屋で同期のやつに思い切って訊いてみた。どうしたらもっとみんなの輪の中に入れるか?的なことを。すると、「もっと君の方から来てほしい」的な答えが返ってきた。これは予想通りだった。それは自分でも思うことだが、なかなか苦手だ。でも友達は大事なので、苦手なりにもできる範囲でやっていけるように考えていかなければいけないと思う。

それともう一つ、これは自分にとって意外な答えが返ってきた。それは、「もっと周りを見てほしい」ということだった。それと一緒に、「俺が周りを見えていなかった行動」をいくつか指摘された。その時は、感情的に反発心を覚えたが、飲み込んで素直に聞いているフリをした。でも、今思い返してみると、間違いのない指摘だったとも思う。


彼らとは三人部屋で寝室が同じだったのだが、どうやら彼らもそのことを俺にいうために、同じ部屋に仕組んだらしい。

それと、俺が浪人していて、同じ歳じゃない、という様なことも理由として挙げていたが、他にも浪人はいるけど、打ち解けているやつもいるので、その理由についていまいち信用できない。


だけど、思った以上に俺のことを気にかけて考えてくれているのだということも伝わってきたし、多分根本的に悪い人たちじゃなかったのだと思う。


きっと俺にも問題はあったのだろうし、そもそも極端な特性を持つ俺にとって、サークルのあのゆるい空気感は合わなかったのかもしれない。


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