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忘れたい。でも、忘れない

初めての旅行は東京だった。生まれて初めての東京を好きな人と堪能できる。あまりの喜びに胸が弾けそうになった。街を練り歩きながら、あまりの人の多さに心惹かれる。高層ビルの窓の奥に見える壮大な景色を見て、また心が惹かれる。まさに2人とも有頂天だった。普段はおしゃれになって興味を持たない彼女がおしゃれなネイルに赤のリップをしていた。いつも以上に気合いが入っている。そんな僕も田舎者だとバレないように、POPEYEでシティーボーイの格好を予習して、良さそうなものを一式揃えた。

東京という街で、僕たちは当時国民的人気を施していた湘南乃風の「純恋歌」を口ずさんでいた。今聞くと自分勝手な男性とそれに振り回される女性の歌だと思えるが、当時は国民のほとんどが純恋歌のような恋を思い描いていた。どちらかが歌い出すと、それに呼応して、もう片方が歌い始める。同時に歌い出すとか息がピッタリなわけではないけれど、お決まりのように2人で口ずさんでいた。そして、街は雲ひとつない晴天だった。

渋谷の街を練り歩く。スクランブル交差点の奥に見えるスタバに足を運ぶ。待ち時間も歌を口ずさみ、席についてもまた口ずさむ。初めての東京旅行から3ヶ月後に、幸福な人生を贈ることができると思っていた2人の将来はあっさりと終わりを告げた。大富豪で負けてマジギレしたわけでもない。喧嘩した後に気持ちを落ち着かせるためにパチンコ屋に行ったこともない。長く付き合って、徐々に価値観がずれていったわけでもない。「純恋歌」のような恋愛ができたわけではないけれど、自分にとって思い出の1曲となったのは確かだ。

誰かに話すわけでもないなんてことのない話。聞いて欲しいわけでもないし、戻りたいとも思っていない。けれども、ふとした瞬間に自分の目の前に楽しかった思い出が走馬灯のように現れる。しかもこの思い出は全部楽しかったものだけで、人間の脳の都合の良さを思い出すたびに感じている。終わり方が綺麗だったわけでない。だが、終わった恋はいつも美しさを帯びている。これはこの世の七不思議の一つなのかもしれない。

終わった恋を思い出すたびに、嬉しいような寂しい気持ちになって、いつの間にか胸の奥の中に潜り込む。終わった恋が綺麗に見えるのは思い込みなのだろうか。そこに愛しさを感じるのは偽りの自分だろうか。その繰り返しの中で、忘れたいけれど、忘れられないを何度も往復する。かつて失恋直後に友人が無理に忘れようとしなくていいと言っていた。忘れられないものは忘れたくないものなのかもしれない。それならば、いっそ忘れたいと思えるその日が来るまでは忘れなくていいのかもしれない。こうした出来事の連続が今の自分を形成している大切な要素だ。何か一つでも欠けてしまえば、もうそれは自分とは呼べない人間だ。大切なものは忘れなくていい。無理に忘れようとする行為こそが、無礼のように思える。忘れたくないと思える思い出と出会えた喜びをめいいっぱい噛み締めたい。無理に忘れるとはある種の自己否定のように思える。自分の意志と反する行動は全て自己否定だ。

大貧民に負けてマジギレしたわけではない。でも、確かに2人で湘南乃風の「純恋歌」を東京という街を練り歩く中で、口ずさんできた。自分の人生を否定しないために、その思い出を胸の内に秘めておく。それでいい。その方がいいよ、きっと。目を閉じると、楽しかった頃の情景が目の前に現れて、すぐに消えた。

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