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甲子園出場の裏に隠れた挫折から意思決定を軸に情熱を取り戻すまで

この記事は同じくスポーツや受験などで挫折したことのある人と思いを共有したいがために書いている記事になってます。

僕は高校時代は朝4時半起きでゾンビのように目覚めながら朝練に取り組んだり、夜の食堂で寝ながらご飯を食べるなどの技術まで身に付け仲間と喧嘩しながら勝つことだけを考えてやってきました。

一切のお金のことも考えず、プロの中で自分がどこまでいけるのかにワクワクしていたり、親に反対されても、学校の先生に無理だと言われても諦めなかった最高にかなえたかった夢でした。

しかし、自分の実力不足で後から振り返るともっとうまくできたのにと意思決定の甘さがもあって1度挫折してしまった経験があります。でもその時の挫折があるからこそもう1度最高の挑戦をしたいと思い起業家という道を選んでいます。

■自己紹介
・鳥取城北高校で初の甲子園出場をした時のキャプテン
・熱闘甲子園には今宮や菊池雄星などと一緒に手紙などでも2回出演
・新卒で船井総合研究所に入社しコンサルを経験
・ユーザベースという世界を目指すITベンチャーで新規事業立ち上げを経験
・データとマーケティングの会社を設立してSaaSやアプリECの広告運用事業とデータで意思決定を支えるソフトウェアを開発中

意思決定を豊かにして人生の質をあげるというビジョンの元、ビジネスを展開中。

なんとしてもプロになる~全ての時間を野球に費やしてきた12年

なんとしてもプロ野球選手になりたかった僕は、小学生から高校まで12年間3万時間野球の練習に費やしました。

累計で野球に費やしてきた時間は3万時間

小学校:9000時間
中学校:7000時間
高校 :15000時間

当時から尊敬していたイチロー選手の野球に対する姿勢、ストイックさは誰しもが感心すると思いますが、僕は本気でイチロー選手の姿勢に少しでも近づくために日々練習に取り組んでいました。

迫田の野球に対しての姿勢
・正月でも旅行に行っても素振り・筋トレは絶対365日やる
・バット・グローブは感覚が変わるので先輩にすらも触らせない
・地元に帰っても甲子園は自分が出るまで見ないという願掛け
・授業中に野球のこと、組織のことを考える
・お小遣いは全て野球小僧と甲子園の星の本とバッティングセンター行き

多分ですが結構バグってたと思います。異常値です。バブルチャートでいくと右上とかにいるやつです。

高校球児が選手として甲子園に出場できる確率は、0.005%と言わています。僕は本当に運がよく甲子園に出ることができました。正直、大阪桐蔭に行ってたらレギュラーになれていたかもわからないが自分の色んな岐路での選択がそういう結果になったと思っています。

小学時代におじいちゃんが快感に変えてくれた

そもそも野球が楽しいと思ったのは褒め上手なおじいちゃんと公園で野球をした時にヒット性のあたりを打ったことを全力で褒めてくれた時くらいからです。
6歳くらいだった僕は今でもあの時の感覚を覚えています。
バッティングセンターにいくお小遣いをくれたのもおじいちゃんだったがヒットを打つということを快感に初めて変えてくれたのは今はもういないけど感謝してもしきれないおじいちゃんでした。
おそらく野球が最初下手くそだった僕に、おじいちゃんはヒットを打ってなくてもめいいっぱい褒めてくれたのかもしれません。野球ができなくてもすごいと褒めてもらえたことによって達成感のような快楽物質が体にはじめて流れました。

それが、野球がうまくなりたいと思うきっかけでした。おじいちゃんを甲子園に連れていきたいという感情に変わったのが強い心を保てた動機のひとつでした。

熱量の高さとはどこから生まれてくるものなのか

なぜ、こんなに夢中になれたのか。その時から明確に思っていたことは熱闘甲子園などで高校球児が膝から崩れ落ちている姿を見たから。泣きじゃくり声にもならない声をテレビ越しで聞いた時に心臓を撃ち抜かれたかのように衝撃が走ったのを覚えています。

小学生のまだ経験もない若者だった僕にとって人がそんなにも泣いているシーンを目にすることは日常的に全くなかったからだと思います。

そこから野球の魅力にとりつかれました。そして野球のことしか考えたくもないし、野球以外の時間は全て無駄だと思っていた。(友達とも全く遊ばない人間だったw)

なんでこんなに泣いているのか小学生の僕には理解ができなかったがとても胸の中で熱くなる思いがこみ上げてきました。この感情自体をその当時は言語化なんてすることもできなかったけど今もその人たちの映像が僕の頭の中に残っています。何があっても、限りなく絶対に近づけるために邪念や迷いを追い払いみんなと野球をもっと長くするために戦う。そういう目線で自分も野球がしたいと視野をあげてくれたことが行動しまくるきっかけだったのだと思いました。

甲子園出場の挫折からもう一度情熱を取り戻す.003

※情熱の作り方はジーンクエストの高橋さんの図式が一番わかりやすいです。

最初は情熱が小さくても視野を広げ行動を起こせば情熱は作り上げられます。そして自分が心からやりたいと思うこと以外やっている時間は1分もないのだと改めて思っています。

バケモノたちとの遭遇。菊池雄星、堂林、今宮とプロのスカウトの言葉

僕の同世代のスーパースターたちは彼らでした。
バケモノ級のプロ野球選手を目の前で見てきたから自分の現在地を過大評価していたこともより鮮明になった。
そしてどうしてもかなえたかった夢が現実的に限りなく可能性が低いと感じました。

色々理由はありますが、大きいところでいきますと行きたかった大学から声がかからなかったのと、プロのスカウトから言われた言葉でした。

目標の進捗的に、終盤に差し掛かるにつれて状況は厳しくなる一方だったがいきたかった同志社大学や東京の大学からはスカウトがこず。自分の実力の無さを実感せざるを得なかった。

高校3年生まで山崎邦正のことを知らずに全校生徒の前で恥をかいたくらい野球以外のことを断ち切っていた僕にとって野球で夢がない世界は真っ暗で何も残っていなかったと思っていました。勉強もできないし、進路も決まってないし。何も考えてこなかったから、すぐに野球以外のことを考える思考回路もなく思考停止状態に陥っていました。

もうひとつは高校2年の時、鳥取西高校にプロ注目の選手がいたのだが、その選手を見にきていたオリックスのスカウトの言葉でした。特に僕のことを見にきてれていたわけではないのですが、その日3打数3安打くらい打っていた僕にコーチづてで、あの子(迫田)センスあるね。後、身長が20センチあったらとってたなー。と言われたことだった。物理的に今から身長を20センチ伸ばすのは無理だと思った。


そんなこともあり、お母さんからあなたはプロ野球選手にはなれない。とか中学の先生からも尖っていた僕に釘を刺すかのようにあなたは多分教師になるだろう。プロ野球選手にはなれない。(教師にはならなかったです。)そう言われても、全然動じていなかった自分でもいろいろなことがあり勝手に追いかけ続けることがしんどくなってしまったのだと思います。

そして外的要因というか自分の環境などのせいにしてしまっていました。160センチ代のプロ野球選手もいるのに僕は自分の努力の仕方や意思決定を内省しなかったのが追いかけ続けられなかった原因だということをその当時は認知できていなかったです。

そこからの虚無感

本気の本気の夢をもがれた時の心の空っぽさはなんとも言えないなというのが実感です。しかし僕の中でとても気付きにくい感情だったなと思います。あまり向き合わないようにしていたのかもしれないのですが今色々、自分の感情を整理してたくさんの思いがおり混ざっている高校野球を引退してからの時期は甲子園出場して周りから喜んでもらってた感情の影で結局努力しても何も残っていなかったんじゃないかとか。頑張る意味って何なんだろうと自分を見失っていたのかもしれないです。

でも大学時代にも野球が繋いでくれた勝つ組織作りをしたいという思いから派生していき自分たちが一寸の迷いもない好きなことでチャレンジしよう。と進化していき起業につながっています。

絶望の中で踠いて見つけた起業家という光

僕は今、野球への情熱に近いくらいRe.Hatchの立ち上げを推進している。(もちろん大変なこともいっぱいあるけど)

プロ野球選手やJリーガー、志望校合格など自分のなりたい姿になれなかった人がほとんどだと思うが、虚無感からまたもう一回立ち上がる情熱の作り方は、野球を好きになったようにもう1度視野を広げ行動することだと書きながら思いました。

僕の情熱が生まれる変数はこの3つです。

甲子園出場の挫折からもう一度情熱を取り戻す.002

僕の場合は、野球で培った熱量の基準値がバロメーターになっているからそれくらい自分の心が熱くなれる環境に身をほりだすだけで良いというのがわかっています。
高校野球と近い熱量の高そうな環境を探した時に起業家という道だと僕は思いました。それは、家族や大切な人の生活をかけて戦ったり、変えたいことがただあるだけで動き続けている経営者がものすごくカッコ良かったです。船井総合研究所でもユーザベースでもそのような経営者を見てきたので僕はとても憧れを持っていました。

なぜ僕がこの記事を書いているかというと高校時代や浪人時代に目標を諦めてしまった選択や上記で記載した意思決定を内省できずに外的要因のせいにしてしまって野球をやらなくなってしまった辛い経験があるからです。自分が行動を起こさないという選択なども含めて、色々選択を見誤った経験は誰しもあると思っていましてそのような後悔の数を減らすために意思決定を豊かにすることを届ける組織を作りたいと思っています

『意思決定を豊かにすることによって人生の質をあげたい』

毎日、岐路に立っている瞬間の連続だと思いますが最高の達成感も味わっていることもあって人々の選択肢を増やしたい。選択肢から1つに絞ることをサポートしたい。その選択肢を正解に変える原動力になりたい。そういう視点から僕はこの世の中を見ていきたいと考えています。

その1つ目の事業としてデータやファクトで意思決定ができる事業を作ってます。BIツールも広告運用もバッティングと重ねることができると思いますが、どれだけ打率をあげるか、どれだけ安打数をあげるのかをこれまらも研究していきます。

甲子園出場の挫折からもう一度情熱を取り戻す.004

企業の成長をドライブさせるためにマーケティング機能は再強化しなければならないと考えているのでその強いマーケティング機能を企業や学校、社会課題に取り組む企業、独立リーグやプロ野球までも広げて行って意思決定を支えるプラットフォーマーになりたいと思います。

僕らは石垣島でも働きますし、北海道でも海外でも働ける場所も自由に選択できる会社にしていきます。意思決定を研究する会社なのでまずはマーケティングからやっていますが一緒に打席数と打率をあげていき、1人でも多く意思決定を豊かにし人生の質をあげられるように貢献していきたいです。

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