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さようなら

出張から帰ると、二番目の犬の様子がおかしくなっていた。

玄関の扉をひらくと、わたしたちを待つ一番目と二番目。三番目はゲージの中から声を上げて呼んでいる。二番目のジュリア。焦点が合わず、からだを斜めに傾けて震えながら立っていた。歩こうとすると、バランスを崩して倒れた。抱きかかえると、左目が白目を剝いている。ぐわんぐわんと頭が揺れている。

数日前、ソファの上にいたジュリアが突然頭から崩れ落ちた。立ち上がろうとしてもバランスが取れずに立ち上がれない。わたしは驚いて、ジュリアを抱いた。脳が揺れている。彼女は一年前、大きな手術をした。膿んでしまった子宮が破裂したのだ。ぐったりと動かなくなり、生死を彷徨った。なんとか生き長らえたが、その時の後遺症で平衡感覚に不安を覚えるようになった。驚異的な生命力で、彼女はたくましく回復していき、さらにはアンコントローラブルな自分の肉体に慣れていった。

彼女なりに真っ直ぐ歩けるようになったし、食べることも用を足すことも自分でできるようになった。ただ、運動神経のよかった彼女は、思うように動けない自分に苛立ちと寂しさを覚えていた。尻尾を巻くようになっていたし、ふと思いついたことを諦めてただ眺めるだけになった。“しおらしい”というか、わたしたちへの要求は控えめになった。唯一「甘えたい」という欲求を除いて。

だから、玄関まで出迎えてくれたジュリアの姿を見た時は、息が詰まった。彼女はからだを歪ませながらも、わたしたちへ向かって尻尾を大きく振っていた。何度も名前を呼びながら、抱きかかえる。目は見えているか、耳は聴こえているか。

左目の動きがおかしい。表情が固まっている。神経痛かもしれない。「ジュリア」と呼びかけながら、からだを撫でた。彼女はわたしの手を何度も舐めた。それは、彼女の振る舞いが“控えめ”になって以来、珍しいことだった。彼女は病と加齢によって、自分の匂いに変化が起きていたことを知っていた。舐めることも、からだをこすりつけることもしなくなっていた。それは、わたしたちへの配慮だったような気がする。

尻尾をぶんぶん振りながら、わたしの手を何度も舐め、顔を舐めてゆく。わたしは「ジュリア」と呼びかけながら、もうこれが最後のような気がした。彼女は、自分の生命の終わりを予知し、わたしたちに感謝を述べているのだろう。「会いたかった、会いたかった」と。

きっともうこれが最後で。そう思うと、熱いものが目からあふれた。こぼれ落ちたそれはジュリアの鼻に落ち、からだに落ち、シルバーの毛を濡らした。彼女は頬を伝って落ちるその雫を舐め、わたしの濡れた頬を舐めた。尻尾を振りながら。わたしたちを想ってくれてありがとう。こんなに喜んでくれてありがとう。

その夜、彼女はわたしと妻の間に入って眠った。この場所が一番好きなのだ。触れてほしいし、見つめてほしいし、名前を呼んでほしいし、愛してほしい。ジュリアはそんな犬だった。

あれから三日経つ。ジュリアはからだを歪ませながら、まだ呼吸している。ちゃんとごはんも食べている。歩いていると、たまにバランスを崩して倒れるが、起き直してまた歩きはじめる。あの時の、あの涙は何だったのだろう。もとより、生きていてくれてありがたい以上の感想はない。



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