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敬意の裏地には、謙虚がある

豊かなコミュニケーションは、ただ“声をかける”だけのものではありません。

「対等な関係性」について考えた時、理想的な在り方に想いを巡らせます。相手から何かを受け取るだけでなく、こちらが何を貢献できるか。そして、その先に何が生まれるのか。豊かなコミュニケーションに役立つ方法は、道具や知識の扱い方を磨くこと。それを仕事や趣味と呼ぶのかもしれません。その人が磨いてきた技術、積み重ねてきた経験が信用や信頼となります。

自分が「この人と話してみたい」と思った理由について、いちいち考えてことばに置き換えてみると、自分に足りないものや自分が磨くべき部分がはっきりと見えてきます。敬意の裏地には、謙虚がある。相手の魅力を考えることは、同時に自分を見直すことでもあります。

「対等な関係性」とは何でしょうか。

仮に、魅力的な人たちが集まるパーティに自分にも招待状が届いたとして。その場を訪れた時、自分は彼らや彼女らと何を話すのか。技術や魅力を持ち合わせていない人の話を「うんうん」と我慢強く耳を傾けてくれるほど彼らは暇ではありません。施しを受けているだけの人に「話したい」と思う人はいるでしょうか。場合によっては、お金を支払って「対等性(のようなもの)」を獲得するかもしれません。

公平な世の中になるといい。
でも、対等な世の中はちょっぴりシビアです。

オンラインの世の中になり、一人ひとりがフラットに見える世界が訪れました。その錯覚が、敬意や謙虚のようなものをライトにさせてしまったように思います。技術や魅力には目をつむり、「対等であるべきだ」という概念だけが先行する。謙虚さが抜け落ちた世界は地獄です。本来「対等であるべき社会」はより緊張感のあるシビアな社会です。多くの人は享受されるべき点のみを議論するに留まり、自分が何を提供できるかまで考えようとしません。でも、パーティに参加した時に求められるのはおそらく後者ではないでしょうか。

わたしが理想とする在り方は、一人ひとりが道具や知識の扱い方を磨くこと。「博士になれ」とまでは言いません。何だっていい。料理でもいいし、文章表現でもいいし、おしゃれでもいいし、モノを売るのが上手なことでもいいし、心地良いあいづちでもいいし、ちょっぴり笑顔が素敵なことでもいい。それがその人の培ってきた教養となります。

そういうものを「育みたい」というこころが謙虚さとなり、他者への敬意につながる。そして、その教養こそが“世界”というパーティにおいて参加者たちとのコミュニケーションのきっかけを生むのです。


「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。