アルファベットの誕生から考察する〝芸術性〟と〝エンターテイメント性〟

最近読んだ本に「アルファベットがどのようにしてできたのか」というのが書かれていて。


アルファベットの元になる文字って奴隷たちに言葉を覚えさせるために考案されたんですってね。

紀元前2000年頃、古代エジプトのファラオの時代。

彼らは近隣の国と戦争をして勝ったら、敵兵をそのまま奴隷にするんですね。
で、エジプトの文字というのはヒエログリフ(神聖文字)というややこしい字体だったんです。
これだと奴隷には伝わらないわけです。
そこで、彼らはヒエログリフの簡略版を作ったんです。

奴隷とコミュニケーションを取るために。

そのうちエジプトで奴隷だった者たちが、故郷へ帰ったり、別の場所へ散っていった。
同時にこの文字体系を持ち帰ったんですね。
地中海の方でこの文字と楔形文字が掛け合わさって〝アルファベット〟となった。



ここで重要なポイントは「広めるために必要なことは〝簡略化すること〟」。




アート作品にも同じことが言えます。
芸術性とエンターテイメント性の違い。
そこには多様性の大小(高低)がありますよね。

芸術性が高い作品は受け手の教養が試される(受け取り方は様々)。
エンターテイメント性の高い作品は大衆に受け入れられやすい(受け取り方がシンプルで似たような感想になりやすい)。





《明治時代の言文一致運動》

ここで、僕の好きな夏目漱石の話になります。

明治時代に言文一致運動というのがありました。
もともと文学作品は文語体で書かれていたんです。
それが口語体になった瞬間が明治時代にあった。


当時、三遊亭圓朝という伝説の落語家がいました。
この人が今の日本語の祖と言ってもいいほどの功績を残した。
落語を速記して口演筆記として〝形〟にした。
落語は語り言葉なので口語体ですよね。
この口演筆記に影響を受けたのが『浮雲』を書いた二葉亭四迷なんですね。


夏目漱石はね、圓朝の落語を実際に寄席で聴いていた。
イギリス留学から帰国した漱石は東京帝国大学で講師になります。
かなりの給料をもらっていたのですが、漱石は教職を辞めて朝日新聞に入社します。
給料も以前より遥かに安いですし、当時の新聞社というのは今のイメージとは全く違うものだった(教職に比べると新聞社は職業カーストの随分下の方でした)。

ですが、この選択にこそ漱石の歴史的快挙があります。
漱石は朝日新聞で小説の連載をはじめます。
これが日本の財産となりました。

もし漱石が東京帝大で教鞭をふるっていたとしたら、年間に100人程度にしか漱石の知の財産を与えることができなかった。
しかし、朝日新聞で小説を書くことにより、数万人もの読者に漱石の言葉が届いたのです。


漱石の小説はとにかくおもしろかった。
読者は漱石の書く連載小説に夢中になった。
それが日本人全体の識字率を高めることに繋がったのですね。

これがね、美しい文語体の森鴎外の小説ならばそこまで人気は出なかったんじゃないかなと僕は思うんです。
幸田露伴でもいけない。
やはり、『三四郎』や『こころ』などの読みやすい作品だからこそ大衆の心にまで届いたのではないでしょうか。
(かといって漱石の作品が〝芸術性が低い〟と言っているわけではありません。ただ当時の他の作家よりもエンターテイメント性が高いことは事実であり、その要素が大きかった理由から現代にまで広く読み継がれているのだと僕は思います)


言葉の簡略化による〝日本語の乱れ〟というのはいつの時代も繰り返し嘆かれますが、長い視点で見れば文化というのは必ずといっていいほど、便利な方になびきます。
そのことを念頭に置いて世の中を見れば、〝ものづくり〟のアプローチも少し変わってくるのではないでしょうか?

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嶋津 亮太

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