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自己嫌悪マニュアル

「自己嫌悪におちいるときの思考回路ってこんな感じなのではないか」と自分や友人の話を振り返りながら、一連の流れを書いてみました。

べつに今すぐにこの世を去って死にたいわけでもない。家庭環境はそんなに良い方ではないけど、極端に悪い訳でもない。とくに友人が少なくて孤独に悩んでいる訳でも無いし、コミュニケーション能力があまりに低くて正常に人と会話が出来ないわけでもない。

自分の顔やスタイルにも多少は不満があるけれども、顔を引っ掻いて躁鬱になってしまうほどに不満なわけでもない。

未来にかなりの不安があって「将来の日本に生まれてくる子供はかわいそうだなあ」「1人で死ぬのは寂しいから嫌だけど、結婚とか子供とかは現実味がないなあ」とは考えているけれども、いま欲しいものが一切手に入らないほどに、お金にあえいでいるわけでもない。

ただ面と向かって「自分という人間に自信が持てるか」と言われると、正直まったく持てる気がしない。そのくせプライドだけは一丁前に高いので、底辺に落ちていくのだけはマッピラごめんだ。

別にそこまで多くを望んでいるわけではない。東京の一等地で高層マンションに住みたいとか、年収1000万円以上稼ぎたいとか、そこまで努力してまでお金に人生を消費したくもない。プライベートが充実していて、定期的な収入が入ってくれば充分だ。

自分の親と同程度に稼げれば、そんなものでいいのだ。30代後半で年収500万円とか。多少転職もするだろうから、そこそこにスキルが身につくけど、それなりに休日が多くて人間関係が良い職場があればベストだな。

ただ底辺に転がり落ちるのだけは嫌だ。集団の中で最下位グループに所属してしまったり、日本の平均年収よりも少し下にいってしまうのも嫌だ。別に勝ちたいわけではないけど、なんとしてでも負けたくない。

勝ち負けの比較対象がどこかと言われると定かではないが、あえて言うのであれば”過去の自分”とでもいうのだろうか。その他にも”大学に行った学費分の元を取りたい”とか、”リスクをとって冒険したりするよりも、明日の収入が確実に入ってくるような環境に居座りたい”とか。

「小さい頃からなりたい夢があって、収入とかどうでもいいんだ」とか、「好きなように生きていくって、自分で決めた!」とか言ってる人もいる。この人たちはお金持ちの両親や、理解ある友人たちに恵まれているんだろうなあと思う。

きっとこの人たちは、数百万円の奨学金を抱えて社会に出ていく訳でも無ければ、まるで話を聞いてくれない両親や親戚から進路を決められるわけでもない。自分で物事を決断する恐怖にさいなまれることもなければ、「リスク」とか何も考えていないトンチンカンなのかもしれない。

そんなトンチンカンの話を聞いていてもご飯の足しにもならないので、適当に相槌を交わしておく。自宅に帰ってきて、シャワーを浴びたらベットに入る。そこらへんから、頭の中が何となくモヤモヤしてくる。何となく腹が立つ。何でそんな生き方ができるのだろう。生まれが違うからだろうか。考え方が違うからだろうか。よほど自分に自信があるんだろうか。

私はなぜだろうか、どうにも動ける気配がしない。そもそも動こうとも思わないし、この生活を自分で望んで、自分で決めたはずだ。

私がこんなにも堅実に、真面目に、負けない様に丁寧に生きているのに。
どうしてそのように適当に、不真面目に生きられるのだろうか。

「はあ」何だかこんなことを考えている自分が嫌になってきた。人の不幸を願うなんて、性格の悪い奴みたいじゃないか。

私はそこまで性格の悪い人間じゃない。困っている人がいたら助けようと思うし、一人ぼっちの人がいたら声をかける。べつに店員さんにイラっとすることがあっても、クレームをつけるなんてこともしたことが無い。

なんか自分って、毎回ちょっとずるいんだよな。たぶんだけど、人に嫌われることが凄く嫌なんだよな。人に嫌われると、自分が傷つく。だから相手にもひどいことを言ったりしないし、それなりに上手くやれれば充分。

自分が傷つきたくないから、相手も傷つけない。ただそれだけの話であって、べつに性格が良い訳でも無いんだよな。良くも悪くもない。少しずるくて、別に優しい訳でも無くて、自分が傷つかないように人に優しくする。

なんか私って、何のために生きてるんだろう。分かんなくなってきた。別に死にたくないけど、長生きしたいわけでもないんだよな。

死にたくないから生きるしかない。
とくに生きる理由もないけど。

まあこんなことを考えても仕方がない。
明日は好きなバンドの新曲発表がある。

ちょっとでも、自分に重なる歌詞があるといいが。



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