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このnoteが誰かの希望に繋がることを信じて

毎週火曜日と金曜日は仕事をお休みにしているので、今日は朝から文章を書いてみようと思う。

普段、文章を書くのは深夜。

1日あった出来事の中で、感じたこと、考えさせられたことを深夜の時間で文章にまとめる。

いつもと違うのは朝から文章と向き合うこと。

今日はいつもよりも少し長めの文章になるだろう。

でも、この文章がきっと誰かの希望になり、生きるきっかけになることを信じて書こうと思う。見てくれる人が1人でもいれば、そしてその1人にきちんと届けられるなら、僕は幸せだ。



不器用なんだ


僕が生まれてもうすぐで21年になる。母親にはきちんと感謝をしなければならない。母親は不器用ながら、僕に愛情を持って育ててくれた。今もそう。一人暮らしをしている僕にわざわざ手紙を書いて心配してくれる。

小学生の時は人間関係で崩れ、一時アルコール中毒にまでなったけど、それでも何とか僕をここまで大きく育ててくれた。

SNSで連絡を取れる時代に、わざわざ手紙を書いて心配してくれる、そんな不器用なところが母親らしいと思う。


そんな母親の元で育った僕も、器用に生きてきたわけではない。不器用ながら一生懸命生きてきた。周りが当たり前にできることが、全くできないことなんてよくあることだった。


完璧主義で人の目を気にしながら、今日まで生きてきた。会社で働いていると、やはり上司の目を気にして働いてしまう。心底居心地が悪い。

普通とは何なのか?みんなこの世の中生きづらさを感じてないんかな?なんて思うことはしょっちゅうある。この世界の現実は残酷なんだ。絶望がたくさんある。生きてて面白いことなんて、そうそうにないんだ。

でも、こうやって考えている僕でも、何かを届けられることがあるんじゃないかと思って、毎日葛藤しながら生きている。そんな僕はこの世界に生まれ落ちた唯一無二の主人公だと思っている。

葛藤しながら生きるって、物語だ。人生は物語。物語の主人公はきっと誰かを物語の世界へと連れ去り、感動を届けるんだと信じている。

そう思うと、まだまだこの世の中には希望がありそうだ。

見つけていない世界があるだけで、そういう世界があることを知らないだけなのかもしれない。


究極、僕らは生きているだけでいいと思う。


何も市場価値なんて考えなくてもいい。

生きてるだけで丸儲け。

そう思うようになった。


生きてさえいれば、まだまだ可能性はある。

物語というのは、基本的に主人公がいなくなれば、終わってしまうものだから、どんな形であれ、主人公であるあなたには生きていて欲しい。


世の中は残酷だ


僕らは資本主義社会という枠組みの中で生きている。当然ながら資本主義社会ではお金を持っている人が偉いし、お金のない人はお金を持つために働かなくては生活できない。

学校という狭い狭い社会の中では、一番の影響力がある人に嫌われないように、怯えながら生活をして生きていく。

先生がどれだけ「みんなと仲良くしましょう」と言ったって、先生同士が仲良くないことはザラにあるし、いじめはなくならない。先生や世の中の大人は完璧な人ばかりなんだと思っていた小学生時代が噓のようだ。

目に見えないカースト制度の中で生きていくしかないのか。

そう思うと絶望した学生時代。


特定の誰かに好かれなきゃ僕はこの学校で生きていけない。そう無意識に思っていたのだろう。

高校時代は特に酷かった。部活では毎日怒られるし、みんなに嫌われないように、自分じゃない誰かを演じて生きていた。

ずっと生きづらいまま生きていくのか。

ぞっとそう考えていたのを今でも覚えている。


コンプレックスを抱えて


肌荒れしていた高校時代、部活でも控えメンバー、勉強もそんなにできたわけではない。そんなコンプレックスを抱えて僕は大阪にやってきた。

大阪に来れば自由になれると思っていた。

誰も僕のことを知らない環境に飛び込んで、僕らしく生きられると思っていた。だけどコロナによってなかなかそれができず、家で一人コンプレックスと対峙する毎日だった。

自信が欲しいから、高校時代にバカにしてきたアイツを見返したいから、その思いで人よりも少しだけ早くインターンという形で社会に出た。

営業で色んな場所へ行った。学生ながら商談も経験した。テレアポもした。1ヶ月で17アポ取った。アポ17件取ってもお金は全く入ってこなかった。

営業でお世話になっていた先輩は朝9時から夜3時まで働いていた。とても苦しんでいた。世の中には搾取というものがあるんだということをここで初めて知った。

世の中に絶望した。テレアポという自分にとっての苦行をこれから先ずっとして生きていかなきゃいけないのか、そう思うとしんどかった。

コンプレックスはいつまで経ってもコンプレックスのままだった。


感動が僕の世界を変えた


しなやかに美しく、真っ直ぐなカッコ良さ

ここに感動する。

コンプレックスや自分の苦しみ、そういったものを乗り越えた時に出てくる真っ直ぐなカッコ良さ。

人生に対して希望を見出せずつまらない人生を歩んでいた僕にモデルである彼女は「感動」というメッセージを届けてくれた。

効率的に仕事をすることや、売上を伸ばすこと、経費を削減すること、数字のためには自分という人間を殺さなくちゃいけないこと、殺風景な世の中に感動という一筋の生きる希望があることを教えてくれた。


その希望を嚙みしめた時に、僕は感動で涙が止まらなかった。こういうことがあって、僕は初めて自分の生きる意味を考えた。なぜ僕は生きているんだろう?僕は人生をかけて何がしたいんだろう?

ここを今日までずっと考えてきた。きっとここには終わりがないのだと思う。でもそれは旅に出ているかのような楽しさがあって、僕はすごく好きだ。いつ終わるか分からない思考の旅なんだ。


こうして旅をしていく中で少しずつ見えてきたものはある。


僕の生きる目的。


それが


感動の世界へ連れ去ること。


感動には色んな意味が込められているんだけれど、物語や主人公、希望などこういったものを全て含んで、僕は人生に希望を見出せない人、生きていく目的が分からない人、そんな人に僕は、知らない世界を提示できる人でありたい。


連れ去るって言葉は、あんまりいい感じはしないけど、僕は人生に対して心からの希望を見出せない人に、感動が待つ世界へ招待してあげたい。

連れ去ってしまいたい。



もっと自由な生き方をしよう。

世間の目なんて、場所を変えたら世間じゃなくなるんだ。

日本が苦しいなら海外に行けばいい。

そしたら今までの世間が世間じゃなくなるし、そんなのどうでも良くなる。


もうすぐで21歳。

20代前半と言われる年齢になってきた。

人生なんてあっという間に終わる。

短く儚く切ない。


人生は物語であり桜のようなものだと思う。

花が散ってしまうまで美しくありたい。


感動を生み出す人の人生を変える


ここなんだ。結局はここなんだ。

世の中で見た時に需要はある。エッセイや小説、エンターテインメントには間違いなく需要はある。だけど、お金がないんだ。

現実ってすごくシビアだから、お金がないことには、生活できない。

僕はこの現実を人生かけて変えていこうと思う。


この壁は高い。想像よりも遥かに高い。

だけど、人生1回きりならば、挑戦してみる価値はあるんじゃないかな。


人間は必ず死ぬ。じゃあ死ぬ前にいい人生だったて言って死にたい。誰かの心に残る、そんな生き方をしてみたいんだ。


宣誓

僕はこの人生かけて感動を追い続けることをここに誓います。

僕と出会う人たちを感動の世界へ連れ去ることをここに誓います。


この文章が人生に希望を見出せない、そんなあなたに届きますように。






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