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3人で歩くときに一歩引く私は、孤独を感じているかもしれないーー『ちひろさん』感想

※こちらネタバレを含みますのでご注意ください

昔から友人たちと歩くとき、私はいつも一歩引いて歩くタイプでした。友人と話していて輪が大きくなっていくことがあれば、しれっと輪から外れてみんなが話している様子を遠目に見たくなることもありました。

話すのが嫌になったわけではありませんし、退屈になったわけでもありません。でもなんだか、「この会話に自分がいなくてもいいや」と思えてサッと身を引きたくなってしまうのです。

『ちひろさん』を見ていて、自分のそんな習性を思い出しました。私はこの習性やこのときの感覚に名前をつけられずにいたのだけれど、もしかしたらこれは"孤独"と呼べる感覚なのかもしれないと思いました。

あらすじ

ちひろ(有村架純)は、風俗嬢の仕事を辞めて、今は海辺の小さな街にあるお弁当屋さんで働いている。元・風俗嬢であることを隠そうとせず、ひょうひょうと生きるちひろ。彼女は、自分のことを色目で見る若い男たちも、ホームレスのおじいさんも、子どもも動物も・・・誰に対しても分け隔てなく接する。
そんなちひろの元に吸い寄せられるかのように集まる人々。彼らは皆、それぞれに孤独を抱えている。厳格な家族に息苦しさを覚え、学校の友達とも隔たりを感じる女子高生・オカジ(豊嶋花)。シングルマザーの元で、母親の愛情に飢える小学生・マコト(嶋田鉄太)。父親との確執を抱え続け、過去の父子関係に苦悩する青年・谷口(若葉竜也)。ちひろは、そんな彼らとご飯を食べ、言葉をかけ、それぞれがそれぞれの孤独と向き合い前に進んで行けるよう、時に優しく、時に強く、背中を押していく。
2023年3月9日
『2月23日公開 映画「ちひろさん」公式サイト』https://chihiro-san.asmik-ace.co.jp/

孤独は受け入れがたい

ちひろさんに関わっている人を見ていると、ちひろさんのように生き方に憧れる人がいそうです。ちひろさんはどう思われようとも思うままに生きていました。ホームレスの人を助けたり、子供と遊んだりして。このように思うままに生きる姿は、他者からの評価を気にしてないように見え、第三者からは魅力的に見えそうです。

登場人物ではオカジがそうです。ちひろさんの思うままに生きる姿に憧れて、自分の思いを他者に伝えるようになっていきます。でも現実ではそうはならないでしょう。だいたいの人は孤独を受け入れられません。誰だって仲間外れにされたくありませんから。

オカジも付き合いで友人と関わっていたし、険悪な家族との食卓について何も言いませんでした。それは、"余計なこと"を言った場合、自分が損をするかもしれないからです。学校では話し相手がいなくなるかもしれないし、家からは追い出されるかもしれない。

私たちはしがらみに縛られて息苦しく思うことがある一方で、しがらみに守られていることによって安定した生活を送れる側面もあるし、しがらみから抜け出して一人ぼっちになる可能性から解放されるのです。

だから多少不満があっても、人は付き合いを選んでしまいます。しがらみによってモヤモヤした思いを抱えたとしても、自分が一人にならないように孤独にならないように我慢してしまいがちです。実際、オカジは親に従ってさえいれば栄養バランスの良い食事が食べられるし、名の知れた人が主催する陶芸教室にだって連れて行ってもらえるのですから。

しがらみの制限

しかし、しがらみは受け入れると同時に制限も受けることになります。自分の価値観だけでなく、他者の価値観で生きることを許容しなければなりません。と考えて、過去に見た他の作品を思い出していました。

エッジランナー』の主人公は親や仲間の期待に応えようとしていました。『あのこは貴族』では、主人公は伝統や親戚のしがらみに葛藤していました。『リコリス・リコイル』では、恩人から与えられた使命や、組織のしがらみに悩む人がいました。これに倣うなら、オカジは友人関係と親子関係のしがらみに悩んでいたと言えます。

話が進む中で、オカジもちひろさんの影響を受け、自分の思いを親に主張するようになります。母親のとげのある言い方に対して、「私のことなんにもわかってないくせに」と返していました。でもそれは、しがらみによって守られている状態から抜け出す道であり、一人ぼっちで孤独になるリスクを伴っています。

孤独と共に生きる

物語の終盤、主要な登場人物たちが集まってパーティーをするシーンがあります。みんなが灯りを中心に囲って、隣の人と楽しそうに座って話している中、ふっとちひろさんがいなくなります。「ああ、こういうときって消えたくなるよなー」と思って見ていたら、ちひろさんがいなくなったので、私は「ああ、同じ感覚なのかな」と思いました。

私の場合、自分が会話に参加していなくても場が盛り上がっていると、「ああ、自分はいなくてもいいや」と思うことがあります。3人で歩くときと同じです。この感覚は自分に価値がないと思うわけではなく、寂しいとも違います。どちらかというと、居場所がないと感じるに近いです。

私はこの感覚に名前をつけられずにいたのだけれど、もしかしたらこれは孤独なのかもしれません。誰かと仲良くなったと思えたとしても、心理的な距離感が埋まらないように感じてしまうのです。あるいは、自分だけ取り残されてみんなが遠くに行ってしまうような感覚に陥ります。

自分の望まないしがらみから抜け出すことは一人ぼっちで孤独になる可能性があるけれど、思うままに生きているように見えるその人もまた、居場所のないような孤独と共に生きているのかもしれません。

だから仮にちひろさんのような生き方ができたとしても、孤独を感じないわけではないでしょう。思い通りに生きることと孤独を感じることは、表裏一体なのかもしれません。

まとめ

終盤、登場人物の一人がちひろさんに言いいます。「あなたなら孤独を手放さずにいられるわ」

言葉だけ見るとネガティブな印象に聞こえるかもしれませんが、話の流れではポジティブな意味で言っているように聞こえます。だからおそらく、「孤独を感じたとしても自分を取り繕って無理に他者と関わることもなく、自暴自棄になって孤独を紛らわそうとすることもせず、孤独を受け入れたうえで自分の思うように生きることができる」という意味が詰まっているのだと思いました。

私たちは日々何かしらのしがらみによって影響を受けています。だからちひろさんのような思うままに生きたいと願うなら、自分で選択をしなければなりません。どんなしがらみに縛られてもいいのか。どんなしがらみからは逃げるのか。

一方で、私たちは家族や友人といった属性を理由に「関わらなければならない」と思い込むことがあります。でもその思い込みを放り出して、目の前の相手が自分に合っているかを判断できるといい。その人と関係を断って孤独になる不安を受け入れられるといい。そして互いの価値観を認め合える誰かを見つけられるといい。

だって私たちはみんな、"人間っていう箱に入った宇宙人"で、家族でも恋人でも友人でも分かり合えないのが当然なのですから。

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