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不満足、あるいは空虚

不満足、あるいは空虚を感じるという事は、大事な事だと思う。
不満足であれば、希望を求めて行動するようになるし、空虚を感じていれば、これまた充実した何かを求めて行動するようになるからだ。

不満や自己嫌悪が人間の活動のエネルギーになる、という事を論じたのはエリック・ホッファーであり、中上健次である。恐らく松本清張も似たような考えを持っていたのではないかと僕は思う。「或る『小倉日記』伝」は名作である。
人間、上手くいっている時は、大して物事を考えないものだ。逆にピンチに陥った時こそ、よく考え、行動し、底力を発揮する。そういうものではないだろうか。

そのエネルギーは力であり、マグマのようなものだから、きれいに文章化する事はできない。文章でなくても、至るところにそういった力の痕跡は発見できる。

そしていずれは、「自分は自分である」という境地に立ちたい。
弱虫の足掻き。たとえ弱くても、それは本物だ。


昨今の世の中はきれいになりすぎ、熱いものが消え失せてしまったように見える。しかしながら、大ヒットした「進撃の巨人」も、この記事で述べてきたような事と同じ物語性を持っていたと僕は思う。
世の中まだまだ捨てたもんじゃないと思うのである。

僕のような弱者、弱虫は、足掻くしかない。上手くいっても、いかなくても。時に苦しくても、波乱万丈な人生は、劇的で、面白い。



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