リュウザキアキノブ

元SE | 児童発達支援・放デイ指導員 | オンラインオルタナティブスクール「第三ホ…

リュウザキアキノブ

元SE | 児童発達支援・放デイ指導員 | オンラインオルタナティブスクール「第三ホームルーム」(http://the3rdhomeroom.com/)代表、 任意団体「こどもわかものリレー」代表、 https://lit.link/RyuAki

マガジン

  • 精神的不登校〜学校に行きたくなかったあの頃を振り返る〜

    学校には行っていた。 でも行きたくはなかった。 そしてそのまま大人になった。 精神的不登校だった過去の自分を観察し、学校に行くことと行かないことを考えるシリーズ。 ※同じ構造で「会社」バージョンもたまに書きます。

  • 心理学的エッセイ

    日々の感じたことや、自分の観察、心理学の勉強を通して得た”気づき”を綴ります。

  • 教育研究ノート

    児童発達支援/放課後等デイサービス指導員、保育士、小学生向けプログラミング教室講師、元SEの筆者が、日々の指導で気がついたことや考えたことをシェアします。教育や子育てに関わる方々の参考になれば幸いです。

最近の記事

「休める」という手段

休んだ時、親含めてまわりにとやかく言われることはとても嫌ではあったが、結局休んだ。 昼間家にいることに背徳感もあったが、それでも休んだ。 学校を休んだ日はゲーム禁止であったが、やっぱり休んだ。 休んだ時に感じるペナルティについては前回の記事でも書いた。 そのペナルティ覚悟で反則を取りに行くのは、とにかく逃げたかったからだろう。しかし結果として、気力の充電ができていたように思う。 いや、それよりも「休める」という最後の手段を持っていること自体が、安心だったのかもしれない。

    • 小学生という身分

      学校に行きたくない。では学校を休みたいか? そう聞かれると、そうでもない。学校を休んだ時のペナルティが大きいことが、よくわかっているからだ。 みな学校に行くことによって「小学生」になる。だから「ズル休み」という言葉がある。 学校に行くことによって「小学生」という身分を頂戴しているのに、小学生を名乗るも学校に行かないとはなにごとか。 もちろんそこまで考えていた訳ではないが、単純に親や友達、友達の両親、そして地域からも「元気なのに学校休んだの?」という空気の中にいることが

      • なんで不登校にならなかったの?

        僕は学校には行っていたけど、本当にいやでたまらない時期があった。 というか長かった。 一番最初にそれを自覚したのは小学校2年生の時。 担任が、現在ではニュースに載るくらいの体罰教師だった。 どのような体罰かはここでは省くが、とにかくことあるごとに痛い思いをした。 当時はそんな時代だったかというと、ちょうど体罰が問題になり始めた時代。 「体罰」という言葉の存在もその時知った。 ではその担任は問題になったかというと、 「教育委員会に連絡しようか?」「いやでも他の保護者も何も

        • パーソナライズと分断

          個人主義とは決して、利己的な意味ではないらしい。 しかし、個人の都合や嗜好を優先する風潮は感じる。 あるカフェで二人組の男性が食事をしていた。 二、三会話をした後、同じタイミングでスマホを取り出し、同じタイミングでゲームをやりだした(よく見ていた訳ではないが、違うゲームだったように思う) 特に会話はなかった。各々、自分の世界を過ごしているようだった。 これが個人主義的と言えるのかは微妙だが、かなりパーソナライズされた時間ではあったように思う。 個人主義上(特に資本

        「休める」という手段

        マガジン

        • 精神的不登校〜学校に行きたくなかったあの頃を振り返る〜
          3本
        • 心理学的エッセイ
          10本
        • 教育研究ノート
          1本

        記事

          生活圏の中の”関わる”機会

          最近はコンビニで買い物をしても、必要最低限の返事しかしないことが多い。 セルフレジを利用した時は、一切言葉を発すことなく店を出た。 さすがにコンビニで言葉を発しなかったことは、初めてかもしれない。 コンビニがセルフレジを導入するメリットはいくつかあるだろう。 作業量や人件費が抑えられるのだろうし、 買う人にとってもかなり素早く買い物が終わる。 「買う」という目的を効率よく行うためには、会話的なやりとりは必要なかった。合理的判断。 これは普段生活する範囲で誰かと関わ

          生活圏の中の”関わる”機会

          関係と認識〜地域の中の知らない人〜

          ゴトっという音がして、 寝ている人がスマホを落とした。 年末の夜の電車の中。 まばらとは言え、まだまだ人は多い。 この人はお酒を飲んでいるのだろうか。 起きる気配はない。 しかし、誰も声をかけなかった。 隣に座っていた若者は、イヤホンとスマホの世界にいた。 自分も離れたところにいたが、ついに声をかけられなかった。 なんとなく、知らない人に声をかけられない。 まわりにいた人たちも同じ気持ちだっただろうか。 もしくは、「自分には関係がない」と思ったのだろうか・・・ 非

          関係と認識〜地域の中の知らない人〜

          互酬性で考えるコミュニティ

          互酬 もしかしたら多くの人にとっても見慣れない言葉かもしれない。 しかし、 その字の意味から、どのような状況かイメージすることは難しくないのではないだろうか。 コトバンクによると お互いに与え、返礼しあうことで成立する関係。 僕はこれを「お互い様」が成立する関係と受け取った。 前回の記事の最後で「コミュニティは対等であって欲しい」と書いた。 与えるだけではなく、与えられることによって成立する関係。 まさに互酬の関係性だ。 実際、コミュニティに互酬性は働くのだろうか

          互酬性で考えるコミュニティ

          イメージから探るコミュニティの意味

          コミュニティ と聞いて、何をイメージするだろうか? 先日、テラコ学校のワークショップでも同じテーマで話し合った。 その時の意見としては、会社や学校などの集まりという意見が多かった。 少数派はネット上の繋がり。会社はコミュニティではないと言った反対意見もあった。 さらに言うと、学校という意見の中にも「クラス」や「部活」など、細分化されている意見に対して、賛成が多く集まっていた。 コミュニティの定義 辞書で「コミュニティ」という言葉を引くと、 必ずと言っていいほど「地域

          イメージから探るコミュニティの意味

          コミュニティとアソシエーションで考える社会とのつながり

          社会 と聞くと、制度とか手続きとか、何やらとても複雑な響きがする。 加えて暗いニュースが多い昨今、なんとなく社会と言う物から目を背けて、 身の回りのことに気を配りたい思いもある。 そんな背景もあり、社会というものを身近に感じづらいかもしれない。 しかし単純に考えると、社会は集団によって作られていると捉えられる。 そしてその集団にも様々な形がある コミュニティとアソシエーション 「コミュニティ」という言葉は、最近特に目にする機会が多いことと思う。 もちろんコミュニティも

          コミュニティとアソシエーションで考える社会とのつながり

          社会の中でのアイデンティティ〜文化的自己観と社会〜

          マーカス、北山(1991)らは、西洋人の自己の捉え方を相互独立的自己観、東洋人の自己の捉え方を相互協調的自己観として論じた。 自己と他者を完全に区別して捉える相互独立的自己観に対して、 自己と他者を重ね、その関係の中に自己を捉えるのが相互協調的自己観とされている。 前者が西洋的、後者が東洋的なのは、感覚から理解できるのではないだろうか。 個人的には、前者が個人主義的とも感じた。 東洋、特に日本では、個人主義よりも集団主義的な考えが重んじられてきた。 しかしそれもずいぶん風

          社会の中でのアイデンティティ〜文化的自己観と社会〜

          日曜日に一緒に考えたい、はたらくことの意味」

          「はたらく」という言葉に対してどのようなイメージがあるでしょうか? この記事が目に止まった方は、もしかしたら良いイメージをお持ちでない方かもしれません。 かくゆう僕もそのうちの一人です。 後述しますが、悩んでいた時期もありました(今も悩んでいますが^^;) 今回の記事では、僕が昨日行ったテラコ学校のライブ配信でお話しした内容から、 はたらくことの意味についてヒントがあったのでシェアします。 日曜日のこの時間、みなさんが少しだけ前向きな気持ちになれれば幸いです。 実は僕もネガ

          日曜日に一緒に考えたい、はたらくことの意味」

          【勉強ノート】【日本社会のしくみ】日本と欧米、雇用の特徴

          この記事は「日本社会のしくみ」(小熊 英二:著)を通して勉強した内容のメモと、それに対する自分の考えをまとめた記事です。 今回は第二章から、日本と欧米の雇用の特徴についてまとめました。 学位と学校名日本は学歴社会と言われていますが、著書によると実際に重視されるのは「学校名」であり、「学位」ではないと言われています。 ヨーロッパなどの欧米社会ではその職務に必要な専門性を持つ学位が重視され、昇進・昇給にも影響しているとありました。そのため、専門性を持つ人材が雇用されやすいこ

          【勉強ノート】【日本社会のしくみ】日本と欧米、雇用の特徴

          孤独と冒険 〜映画「ノマドランド」を通して感じたこと〜

          居場所 と聞くとどんな場所を思い浮かべるでしょうか? 僕は、自分がそこにいてもいい、何か受け入れられているような場所を思い浮かべます。 ではそれは、具体的にはどんな場所でしょうか? 家でしょうか、会社でしょうか。 そしてそれが、いくつ思い浮かぶでしょうか? たくさん思いつく人は、それだけ多くの居場所にたどり着いた方なのかもしれません。 居場所とは、あらかじめ存在する場所なのでしょうか。 それとも、自分で作り出すものなのでしょうか。 社会に居場所を作らず、車上生

          孤独と冒険 〜映画「ノマドランド」を通して感じたこと〜

          集まって話しをする。ただそれだけのことが、なぜこんなにも充実するのだろう?

          情報のあるれるこの時代に、 コンテンツを提供することの意味をずっと考えていました。 何かが欲しければ 「○○ 安い」 で検索すればいいし 稼ぎたかったら 「FX 儲かる」 などで検索すればいいことでしょう。 必要な情報を簡単に引き出せる現代においては、 その人にとって直接価値になりうる情報だけが生き残ります。 テラコ学校は、 そのような情勢の中始めた活動です。 「仮想の学校」として、学びたい人たちが集まれるコミュニティを目指して活動していて、その人にとって何か学びに

          集まって話しをする。ただそれだけのことが、なぜこんなにも充実するのだろう?

          ゲーム依存〜あるケースで気がついた集中力との関係〜

          よく「ゲーム依存」と言われますが、 僕が関わらせていただいているケースでも、 ゲームを中断することがとても難しいお子さんがいました。 家でもなかなか中断できないとのことで、 このままでは依存にならないか? と親御さんは心配されていました。 ゲームを中断できなかったり、 ゲームに依存するとはどういう状態なのでしょうか? その状況を考えるうちに、 ゲーム依存と集中力の関係について気づきがありましたので、 今回シェアさせていただきます ある小学生のケース件のお子さんはなかな

          ゲーム依存〜あるケースで気がついた集中力との関係〜

          オンラインで中学生をワークショップに促した結果まとめ

          オンラインにて活動している仮想の学校「テラコ学校」にて、1/30に参加型の公開ワークショップを行いました。 オンラインでの参加型ワークショップというのもチャレンジな企画ではありましたが、さらに今回は中学生の参加もあり、さらにチャレンジな企画となりました^^; 学生のオンライン授業が普通になりつつある昨今、本当にオンライン学習はありなのか? さらにオンラインでのディスカッション学習は成立するのか? 実際にやってみた結果をシェアしたいと思います。 会の概要「考えよう、地域の

          オンラインで中学生をワークショップに促した結果まとめ