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日曜日に一緒に考えたい、はたらくことの意味」

「はたらく」という言葉に対してどのようなイメージがあるでしょうか?
この記事が目に止まった方は、もしかしたら良いイメージをお持ちでない方かもしれません。
かくゆう僕もそのうちの一人です。
後述しますが、悩んでいた時期もありました(今も悩んでいますが^^;)
今回の記事では、僕が昨日行ったテラコ学校のライブ配信でお話しした内容から、
はたらくことの意味についてヒントがあったのでシェアします。
日曜日のこの時間、みなさんが少しだけ前向きな気持ちになれれば幸いです。

実は僕もネガティブ派

いきなりネガティブな内容ですが、僕もはたらくことに対して、
ネガティブなイメージを持っている派です。
僕が新卒でシステムエンジニアになった2007年は、
まだまだ残業が当たり前な時代でした。
残業が当たり前な環境にいると、自分も残業が当たり前のように感じてくるものです^^;
しかし次第に長時間労働に疑問を持ち始め、
ついには自分の人生を切り売りしている感覚にまで陥ってしまいます。
そのためネガティブなイメージを持っていました。

参加者の反応

ポジティブ、ネガティブ両方の意見がありました。
面白い発見としては
ネガティブな意見には、働く理由が伴わなかったことです。
逆に働く理由をあげた方は、ポジティブイメージをお持ちでした。
つまり
なんのためにはたらくのかわからなくなるとネガティブに、
なんのためにはたらいているのかに対して自分の考えを持っているとポジティブなイメージになるようです。

なんのために働くか?

おそらく究極の問いでしょう。
僕がシステムエンジニアをやっていたころは、「生きるため」と考えていました。
しかし、システムエンジニアを辞めた今でも、生きることはできています。
ただ生きるためであれば、そこまで残業が必要ではなかったということです。
ではそれ以上働いて何を得たいのか?
生きる以上に必要な意味はなんだったのか?
それを持っていることが、ポジティブ・ネガティブに直結するのでしょう

生きるを超えた、あなたのはたらく目的

はたらくということはお金をもらうことであり、
そのお金は生きることに直結するように感じます。
しかし、生きるためだけであれば、どのくらいの量が必要なのでしょうか?
もし余剰があれば、それはただ「生きる」を超えた意味を表しているのかもしれません。

生きる以上の意味について、少し思いを巡らせてはいかがでしょうか。

ライブの模様はこちらのリンクからご覧になれます。
日曜日のこの時間だからこそ、みんなでこの問題を考えたいですね。


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