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互酬性で考えるコミュニティ

互酬

もしかしたら多くの人にとっても見慣れない言葉かもしれない。
しかし、
その字の意味から、どのような状況かイメージすることは難しくないのではないだろうか。

コトバンクによると

人間の行為は,その対象が個人,集団,あるいは超自然的存在,そのいずれであっても,なんらかの応報を求めて行われる。ことに伝統的社会における制度には,人あるいは集団が相互に有形・無形のものを,特定の期待感や義務感をもって,与え,返礼しあうことによって成立しているものが多い。このような意味で,人間の行為の多くは相互的行為,あるいは一種の交換ということができよう。このような行為を動機づける観念,あるいはこの種の観念によって基礎づけられた社会関係を互酬と呼ぶ。

コトバンク(世界大百科事典 第2版)

お互いに与え、返礼しあうことで成立する関係。
僕はこれを「お互い様」が成立する関係と受け取った。

前回の記事の最後で「コミュニティは対等であって欲しい」と書いた。

与えるだけではなく、与えられることによって成立する関係。
まさに互酬の関係性だ。

実際、コミュニティに互酬性は働くのだろうか?

近所というコミュニティの互酬性

例えば「近所付き合い」が機能していた頃の近所コミュニティを考えてみると、まさに「お互い様」が働いていたように思う。

近所に農家さんがいると野菜を分けてもらえたり、
それに対して別のものをお返したり、
そんな「お裾分け」の交換があった。

さらに考えると、様々なものも交換していることに気づく。

昔は家に鍵をかけないこともあったし、
子供だけで外で遊んでいることもあった。

今見ると安全面で問題はあるが、近所に誰かしらいたので何も事件は起こらなかった。

これは近所の目という、相互監視が働いたのであろう。
ある意味、セキュリティの互酬と言える。

物資やセキュリティだけでなく、単純に話し相手というのも互酬にならないだろうか。
寂しさや退屈を紛らわしたりは、ストレス解消の機能があると言える。

このように、かつての「近所」というコミュニティを考えると、
互酬性がうまく働いているように見える。

ではアソシエーションはどうだろうか?

アソシエーションは目的の元に集まり、組織化されている。
役割も機能化されていて、それぞれがそれぞれの「機能」を果たしさえすれば、そのアソシエーションは目的に向かって「機能」するだろう。
互酬性がなくても、目的が機能していればその集団関係は維持できる。

逆にコミュニティに互酬性がなくなったらどうなるだろうか。
近所の例で言うと、ただ近くに住んでいるだけになりそうだ。
誰が住んでいても、気にしないのではないか。
むしろコミュニティは、
互酬性によって関係が成り立っていると言った方がいいかもしれない。

コミュニティの捉え方

おそらく「コミュニティ」を捉えるにあたって、互酬性が成り立つかどうかはひとつ指標になりそうだ。どのようにその集団関係を成り立たせているか?と言ってもいいかもしれない。

しかしコミュニティとして認識される集団が増えてきた現代、
互酬として交換される価値はどういったものなのだろうか。
近所というコミュニティでは物やセキュリティを交換していたかもしれない。
友達もコミュニティとして捉えるのであれば、どのような互酬関係になるのだろうか?
さらに言うとオンライン上のコミュニティにも互酬関係は成立するのだろうか?

コミュニティは構成員との関係によって成り立っている。
互酬性のように何を与え、返礼される関係なのか?
その関係性を考えることは、どのようにコミュニティを成立させているかを考えることに繋がるだろう。

次に、関係について考えてみよう。


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