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これから先、サッカーが人生の主役ではなくなることでしょう

たったひとつの動画で、人生が変わった。
新たな1歩を踏み出す勇気が持てた。


とある日の夜遅く、外池監督からLINEの通知が届きました。
YouTubeのURLと、割と長めのメッセージ。
外池さんが制作に関わる番組で今回は学生スタッフに焦点を当てたらしく、どうやらその編集途中のものが送られてきたようだ。
学生スタッフの当事者として、これを見て感想を(分量自由)。これは宿題だ。なるほど。
URLをクリックし、その映像をぼんやりと眺めています。

「堰を切ったように」という表現がまさに相応しく、ドバドバと脳内に溢れ出る思考を止めることができなくなってしまいました。

先に言っておきます。
いつも通り文章は長いです。文字数カウンターにはかけないでください。

ただ、たったひとつの動画視聴をきっかけに、動画の内容とはかけ離れた思考の飛躍がありながらも、この先の人生をデザインしていく上でも大事にしたい価値観に出会えました。
何か晴れ晴れしない、閉塞感とモヤモヤが積もり積もった自分の人生にも少し光が差し込んだような気がして、改めて頑張ろうと思えました。

外池さんと出演者の皆さん、ありがとうございました。
皆さんも是非ご覧ください。



学生スタッフという選択肢は、果たして「逃げ」なのか?

これこそが、動画を見ながらまず考えさせられたことです。

僕は、学生スタッフという選択を後悔したことはありません。
「逃げ」だなんて、微塵も思ったことはありません。

むしろ、選手として競技を続ける道(サッカー問わず)と比較した時に、
自分の大学生活の4年間を1番輝かせてくれる、
というより、自分自身が1番輝ける場所がそこにはあると思ったからこそ飛び込んだ世界。

能動的でした。
受動的だったり、どこかに引け目を感じていたら、絶対にこの世界に踏み入れることを選択していないと思う。

とはいえ、サッカーをしている瞬間はとにかく好きでした。
お世辞にも強いとは言えない公立校のサッカー部で、毎日夜遅くまで泥んこになりながら競技に打ち込んでいた。
進学校ということもあって大抵の部員が高3の春で引退する中、自分を含めた同期3人だけが残り、高3の夏までがむしゃらにボールを追いかけていた。

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でも、競技者としての自分の現在地というものは常に客観視できていた。
諦めがついていたという感覚ではなく、ポジティブな意味で、自分の限界が見えていた。

サッカーを始めたばかりで、慣れない環境の中で怪我も繰り返し、なかなか上手くなることができなかった中学3年間。
周りからの視線はかなり冷たいものだった。
ミスをすれば「下手くそ」と罵られ、ミニゲームで同じチームになった人からは嫌な目をされたり。

優しかった友達には何度も「辞めたい」と打ち明け、その度に「もう少し頑張ろうよ」と言われて踏みとどまる日々。
部活に行くことが恐怖でしかなかった。

確かに、徐々に上達してできることが増えていき、上手いプレーができるようになったことには喜びを感じられるようになった。

「サッカー」というものが大好きになった。
熱中していく自分がいた。
プレーをすることだけではなく。そのもの自体が。

そこから先は見違えるほどの上達スピードだったし、気付けば初めはあんなに下手くそだったのに、自分より技術のある他の経験者たちを抑えて中2の冬あたりからスタメンを勝ち取ると、そこから一度も手放すことなく中学の引退試合まで至った。

そんなプラスな出来事もあったけれど、高校生になっても自分への評価は常に冷静だった。
技術では上には上がいるし、怪我が多すぎて、特に高校3年間は呪われたように怪我を繰り返して半分くらいしかプレーできなかった。
中学の時は掴めていたスタメンの座も明け渡し、試合に出られたのは同期の大半が引退した後の高3の夏の大会だけ。

これまで、自分のミスのせいでチームにたくさん迷惑をかけました。

中3の春季大会、何か浮ついた状態で試合に入ってしまい、なんてことない相手に何度もぶち抜かれ、普段声を荒らげることのない優しい優しい味方に「集中!」と喝を入れられ我に返ったり。
準決勝でも相手にコーナーキックからヘディングシュートを打たれ、シュートの軌道上にいた自分が「あ、枠外れたわ」と思ってボールを見送ったところ枠を捉えていて、僕が前で触ると思ったGKともお見合いになり先制点を献上したこともあった。
都大会出場に向けた最終予選となるブロック大会、強豪相手に試合最終盤まで粘って無失点に抑えていたものの、サイドバックの自分が対応に手こずっていた相手のちょこまか系ドリブラーを潰そうと、パスを受けたトラップ際を狙ってスルスルとサイド寄りにポジションを取った背後をつかれ、走り込んだ別のFWにクロスを上げられ決勝点を取られた。
高校最後の引退試合でも、セットプレーの流れかなんかで打たれたシュートを自分がゴールライン上で何とかブロックしたものの、ゴールライン上をコロコロと転がるボールを掻き出そうとして蹴ったところ突っ込んできた相手に至近距離でぶち当ててしまい、決勝ゴールをプレゼントしてしまった。

何度も監督や味方に怒られ、何度も悔しい思いをし、それでも「サッカーが好き」という非科学的で直感的な気持ちだけで突き進んできた。

それでも、中高6年間の実体験が今も自分の中では色濃く記憶されていて、
いくらサッカーをすることが大好きでも、大学でも怪我を繰り返して万年リハビリ生活を送ったり、プレーで文句を言われて嫌な気持ちをしながら大学4年間を過ごすくらいならそれは違うんじゃないかと。

自分がもっと輝ける方法があるはず。
自分の強みを最大限発揮できる方法があるはず。

そう思って飛び込んだのが、学生スタッフの世界です。

客観的に見れば、これは「逃げ」なのかもしれない。
文句を言われなくなるように努力をすれば済む話ではないのか。努力を放棄しているのではないか。

だけど、自分の中では2つの選択肢をしっかりと天秤にかけて考えることができたからこそ、全く「逃げ」という感覚がなかった。

競技者としての自分をイメージしていたから、もちろんサークルも候補にはあったし、ラクロスやホッケーといった別の競技を大学から始めることも真剣に考えた。

でも、最終的にサッカー部で学生スタッフになる道を選んだ。
大学4年間での成長と、自分が思い描くその後の人生の軌道を最大限いいものにできる確信があったから。

スポーツを「する」ことでしか得られない学びは当然あるけれど、スポーツは「する」ことが全てではない。
「する」ではない新たな切り口からスポーツを捉えることができる、「運営」という立場にものすごく可能性を感じた。

自身の選択はすんなりと受け入れられたし、むしろ学生スタッフとしての高みを目指す姿をはっきりとイメージすることができた。

覚悟は決まっていた。




とはいえ、初めて生きる「非競技者」という世界で、当然苦しいこともたくさんあった。
「運営」という立場の魅力をひしひしと実感できる一方で、スポーツ界の厳しい現実も目の当たりにしてきた。

特に、1年の秋から入った学連での経験は自分にとっては苦しすぎたかもしれない。
ア式も学連も、何度も辞めようと思った。逃げ出そうと思った。

それでも逃げなかった。
逃げることができなかったという見方もできるかもしれない。

どんな時も、こんな弱い自分を踏みとどまらせたのは母のある言葉だった。その言葉が常にフラッシュバックした。今も思い出している。
中1の春、未経験だったのにサッカー部に入ると告げた時に言われた言葉。

やると決めたからには、
1年2年で辞めるのは許さない

自分で決意したのなら、自分の中でやり切ったと胸を張って言えるまでやり切れと。
自分が下した決断というものには、責任を持てと。
決して中途半端に、生半可な気持ちではやるなと。

それからずっと、心の中にはこの言葉が楔として打ち込まれています。

不屈の精神が芽生えました。(精神的には脆くて壊れやすいけど、意外と不屈なんです)

不屈であることは、当然いいことではある。
が、時には自分を苦しめる材料にもなる。

「逃げの選択肢」を狭めることになるから。
「理想と現実」のギャップを埋めきれない要因にもなるから。
「自分はこう在らないといけない」という呪縛から逃れられなくなるから。

トレーニングと同様で、ある程度の負荷をかけないと成長は見込めない。
ただ、自分に見合った負荷を超えてしまうと、肉体的にも精神的にも壊れてしまう。

そのバランス感覚をどう保つか、これは大きな問題だ。
ただ、自分の不屈さが原因で、逃げなかったからこそ辿り着けた境地や得られた学びこそあったが、「自分はこう在らないといけない」という呪縛から逃れることができずに人生のバランスを大きく崩した。
中途半端な「不屈さ」が作り出す諸刃の剣っぷりを、身をもって痛感した。
自分の視野の狭さと、心の余裕のなさを突きつけられた。

そんな大学4年間だった。

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映像視聴をきっかけに自身の過去を顧みて、堰を切ったように溢れ出てしまった思考を落ち着かせた先に、ひとつの帰着点を見出した。


これから先の人生

サッカーに逃げない。
サッカーに縋らすがらない。


サッカーはずっと好き。
その想いに変わりはない。
これからもサッカーに、スポーツに携わることはもちろんある。

「サッカー」というものの存在は偉大だけど、人間にとってはあくまで1つのツールでしかない。

結局、サッカーを通して、
「自分が」何を得たいのか、
「自分が」何を学びたいのか、
「自分が」どうありたいのか。

サッカーから完全に離れた自分は想像ができないけど、自分の人生の主役はサッカーじゃない。

これからは自分の人生のど真ん中を、堂々と、自分の足で歩いていくんだと。

自分の人生の主役を演じることができるのは自分でしかない。

自分の力で、自分の意思で、自分の道を、自分なりに、自分らしく、ありのままの姿で、突き進んでいく。


関東リーグ38番で自称「関西が生んだア式のお笑いモンスター」こと表裏松浦くんが、2年の時に「他人の人生を生きない」というタイトルの部員ブログを書いていました。

物質としての他人の人生を生きないのはもちろんだけど、
人間には誰しも、自分の心の中に"目に見えない他人"が潜んでいる。
目に見えなくても、それは立派な"他人"であり、松浦の「他人の人生を生きない」という考え方にもそれは当てはまると思う。

その"目に見えない他人"こそが、我々にとっては「サッカー」なのだ。

単位取得よりも、サッカーを優先してしまっていないか。
友人との約束よりも、サッカーを優先してしまっていないか。
家族との会話よりも、サッカーを優先してしまっていないか。
心身のリフレッシュよりも、サッカーを優先してしまっていないか。

サッカーのために、自分を押し殺さない。
サッカーを、自分よりも優先しない。

そうじゃないと、不意にサッカーを失った時、サッカーという世界から放り出された時、被るダメージが大きすぎるし、今までの人生をネガティブにしか捉えられなくなって自分を大事にできなくなる。


ア式での4年間を経て、
別にサッカーのことが嫌いになったわけでも、
自分の人生からサッカーを抹殺しようとしているわけでもない。

盲目的にサッカーというものを自分の中心に据えて、サッカーを主語に自分の人生を語ってしまっている自分に嫌気がさしたから。
サッカーという、世の中的に見たらとっても狭い世界で、その中の普通や常識に身を隠して生きていた自分が恥ずかしかったから。

その気付きを、早稲田大学ア式蹴球部という環境が自分に与えてくれた。

先程も書いたけど、サッカーを通して、「自分が」何を得たいのか、「自分が」何を学びたいのか、「自分が」どうありたいのか。

「自分が」という感覚が圧倒的に欠落していた。
「自分」の本当の姿を大事にしきれていなかった。

アメーバに脳をコントロールされる、みたいな映画があったけど、今までサッカーや組織にコントロールされて生きていたのだと、冷静になって考えた時に思った。

壊れていた。

今年の春先、いい曲といいMVに出会った。2年前にリリースされた曲だった。最近まで知らなかった。この曲とMVに救われました。お暇な時に眺めてみてください。

僕は僕でしかないんだ。

自分の哲学を捻じ曲げてまで、無理をしてまで、生きづらい環境に居続ける必要はない。

変えるしかないんだと、自分を。
適応するしかないんだと、自分が。

自分がありのまま、自分らしくいられる環境は、自分自身の手で作り上げるしかない。


自分をここまで高めてくれたサッカーへの感謝とリスペクトを忘れず、

それでも、「自分らしさ」を突き詰めてこの先の人生を歩んでいく。

覚悟が決まれば、人は強い。


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