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【大学のこと】院生の生活①学内のこと

前回はこちら。あなたは大学院入試を突破しました。

 晴れて大学院生になったあなたの楽しい楽しい研究生活がいよいよ始まります。修士院生は、研究という長い長い人生のうちの、短い夏。ここを楽しめなければ先はありません。ちなみに前回、大学院生という状態は、研究が好きで好きで仕方がない人にしか務まらないというお話をしましたので、あなたは入学当初、研究がようやくできるぞとわくわくしています。

入試というハードルを越えてひと段落。さて、しかし研究を続けるということは、それはそれでなかなかのハードルです。



 そんな大学院生という生き物が、どういう生活をして、何を食べ、何を楽しんでいたのか。今回は研究活動以外の生活の側面にスポット当てて説明していきます。言うまでもないことですが、院生生活など人それぞれで、これは私が知っている範囲の事柄です。偏見や硬直した思考が散見されると思われます。また研究の内容等、マジメな内容が知りたいという方は読み飛ばしたほうがいいかもしれません。今回はまさしく枝葉の部分です。


研究と、研究を阻害するもの


 さて、大学生と違い、大学院生の生活は研究を中心にしています(卒論生の生活に近いかもしれません)。いちおう、取得すべき単位必修科目なども決まっていますが、語弊を恐れず言うならばどの必修科目の教員も単位を落とすつもりは一切ありません。教員は、大学院生の主な仕事は研究であり、研究に深く関係するとはいえない科目の単位を修得することではないことをよく理解しています。なぜならその教員も、おそらく数名の院生を抱えているからです。
 そして研究室の気風にもよりますが、何時から何時まで研究室にいなければならないというルールが決まっていないラボも多いです。そうした制約が、研究という創作活動に邪魔であるという考えだったり、文献系の研究は自宅でも研究出来てしまったり、理由は様々です。特に理由がない場合もあります。
 つまり、単位の取得もなく、研究室にいなさいという義務もない場合、やる気だけが研究を駆動するものになってしまうわけです。しかも悪いことに、学費を払っているのはあなたですから、研究をしなくても誰にも責められません。ここが会社だと思ってください。自宅で仕事をしてもいい、なんなら仕事をしなくてもいい、義務の会議の出席はかなり低頻度、しかも会議の責任者は、「会議に出ることが仕事じゃないからね、あまり君の仕事の邪魔はしないようにするよ」と言ってくれています。
 ここでモチベーションを維持できるかどうかです。しかも研究は「思うように進まない」がデフォルトで、たまに奇跡的にうまくいくことがあるようなものなので(しかも周囲の全員はロジカルモンスターで、あなたの研究の論理的誤りを是正することに命をかけています)、普通の感性なら研究などしなくなります。これは極端な意見ではありません。実際そうだった、モチベーションの維持が本当につらかった、という方は多いはずです。
 そしてむしろ、雑事に逃げ込むことで、自身に研究をしなくていいという言い訳をするようになります。これこれをしなければならないから今日はいいや、とか。これこれが外せない用事なので、私も研究を進められなくて嫌なんですがここの数週間は、とか。これをやりだすと、ますます研究は進まなくなります。
 すなわち雑事を一切合切しない/させない必要がありますが、実際には以下のような事柄があります。あくまで一例です。

単位


 一応、取らなければならない単位があります。極端に専門性の高い講義か、その逆かのいずれかになるケースが多いです。前者は研究というものに触れましょう、つき詰めた研究というものはこういうものだと学習させるため、後者は外部入学者や社会人院生(後述)のために基礎的な知識を一応入れておくという目的です。

一応、講義や単位という概念はありますが、大学生ほどのコマ数も、厳しさも基本的にはありません。


 私も単位取得のために出席していましたが、院生全員がやる気のないだらだらした雰囲気、教員もまあまあなレポートさえ出してくれればそれでいい、という様子でした。まあ仕方のないことだったのですが、大変不毛な時間でした。
 ちなみに所属研究室の週1回のゼミもばっちり単位に入っており、当然必修科目でした。ここでの内容は後ほど。このゼミが楽しめない方はどんどん脱落していきます。

院生自治組織


 もう全国にほとんどないはずですが、院生が運営する自治組織のようなものがある場合、その運営に関わる雑事が降って沸く場合があります。非常に低確率ですが、間違ってもこの組織に運営を手伝わされないようにしましょう。断言しますが非常に不毛で、研究の邪魔でしかありませんし、身につくものは何もありません。

自治組織の管理運営はかなりレアケースでしょう。単なる時間泥棒、それ以外ではありませんでした。

アルバイト


 お金は必要です。生活に苦労するようでは研究はできません。ただ、実は研究それ自体には学費以外にお金がかからない(研究で必要なものはだいたい研究費や教室費等でなんとかなります)ので、食べるものと寝るところさえ確保できれば生きていくことはできます。他にお金の使いどころはありません。ただし、後述しますが心理的・健康的には余裕はまったくありませんので、お金はあるならあったほうがいいのは間違いありません(まあ、研究に限った話ではありませんが)。
 ただし、注意が必要です。本当に厄介なことに、まあまあいい大学院に行けばお金を稼ぐのは本当に簡単です。アルバイトの効率としてはかなりよいものがいくらでも転がっています。ただし、それに甘んじていると、本当に恐ろしいことになるので要注意です。お金は必要です。そしてお金は簡単に稼げますし、なんならあなたが働くことで、雇い主はあなたに感謝してくれます。まさしく自己実現、社会的欲求が満たされそうになりますが、ですがやりすぎてはいけません。後述しますがアルバイトをしすぎると大学院生は本当に簡単に詰みます

お金は簡単に稼げますが、だからこそ自制しないと大変なことになります。

いわゆるプライベート


 あまり期待しないほうがいいでしょう。家族とのゆっくりとした時間。毎週パートナーと旅行に。趣味の車の改造。Youtuberとしての活動。これらは、あまりできないと思ってください。というか、できますが、熱中しすぎると詰みます。重要なのは、研究の時間を多くとっておくということです。
そして間違ってはいけないのは、研究には余暇が必要ですが、それは研究以外のことをする時間ではなく、何もしていない時間が必要だということです。従って、詰め込みすぎて、何もしていない時間が少なくなると詰むと思ってください(すぐ詰む詰む言っていますが、本当のことです)。

研究室によりますが、お相手にはあまり時間をかけられません。

研究とプライベートのバランス


 いわゆるライフワークバランスというものは、大学院生には不向きな言葉です。生活には研究があり、それ以外の時間があるのですが、たいていそれ以外の時間というものは多くなく優先度も低い、すなわち研究がDominantな一方的な関係です。
 ただ、これは研究室の雰囲気によります。単位が希薄で、特に何も特定のDutyが無い場合、プライベートな理由で研究室に行かないという選択肢も可能です。ただ、そういう雰囲気の研究室のほうが、業績は溜らず、出ていくのにも多くの年数がかかるというのは間違いないでしょう。基本的には、拘束時間という意味での「自由」と「研究業績」はやはり反比例の関係にあります
 ですから、プライベートの時間を大事にしたい、研究以外の大事なことと両立させて頑張りたいという方にはあまりお勧めしません。社会人院生というシステムを利用するか(その場合はその場合で、相当の努力が必要ですが)、ひと段落して集中できるようになってから入学しましょう。

最初から研究に傾いていて、それが変わることはありません。

大学という巣穴で彼らは何をしているのか


 それでは、具体的に大学院生という極めて不自然で不合理で不具合な生物の生態について見ていきましょう。

食事


 学食で済ませるのが大半ですが、お弁当派もいます。毎日学外まで出ていって優雅なお食事という方はあまりいません。…今、書いていて気が付いたのですが、それは北海道大学という特殊な立地に固有のことかもしれません。私が居たのは教育学院と医学部でしたが、どちらも「学外に出るのに」歩いて5~7分くらいはかかりました。研究室からお店に、ではなく、北大の敷地外に出るために、研究室がある建物の玄関から敷地の外まで歩いてそのくらいはかかります。冬は足元が悪いのでもう少しかかりますね。他の大学はそうでもないでしょう。そして上記の2学部は、かなり敷地の境界に近いほうです。
 いずれにしろ、研究以外のことにあまり時間は使っていない人がほとんどでした。というより、研究以外に時間を使っていない人に優秀な人が多い、といったところでしょうか。私生活の充足度と研究業績にははっきりとした負の相関がありました(少なくとも私がいた時代には)。因果関係としては、研究が面白く、熱中していると、メシのことはあまり思いつかない、という感じです。
 大学に出てくるときにコンビニのご飯を買ってくる、学食で食べる、興が乗れば出前を取る、というケースが多かったです。自宅でしっかりご飯を作る人は少なかったです(研究室内でしっかりご飯を作る、というケースも少数ですがありましたが)。
 ですので、学食やコンビニ(北海道にはセイコーマートのホットシェフという、素晴らしいお弁当がありました)の情報には敏く、どこそこのあれは旨いとかまずいとか、新作が出たとか終売したとか、情報交換を頻繁にしていました。

食通(ただし学食とコンビニ飯に限る)がたくさんいます。

交友


 内部進学の場合、大学時代からの友人がそのまま修士院生にいたりすると仲良くなります。お互いに辛い道を進んだ戦友のような感覚がありますし、自分のほうがより優秀だという自負もお互いにあるかもしれません。
 研究室の中の人間関係も、とても他人ではいられません。毎日のように生じる研究上の問題の解決。手伝い。気晴らしに今どんなことをしているのかを聞いたり、統計についての議論をしたり。また、小規模な勉強会などをしていると、自然と交友も生まれます。
 おそらくですが、北海道大学は少し特殊で、他大学との交友が少なかったです。同じくらいの学力の最高学府が近くに存在しないことが大きな理由でしょう。東京であれば大学間のコミュニティの形成が素早くかつ簡単です。ですから北大は、旧帝大の中ではゆっくりとした、おおらかな研究姿勢であることが多いようです。
 とはいえ、私も修士に入りたての頃は、いくつかの学生主体の勉強会に参加していました。研究室内のものでは、脳波の解析や解釈に関わる専門書の抄読の会、教室横断のものでは、認知神経科学の専門書の抄読の会(こちらはのちに座長を務めました)。後者には、文学部の哲学科、工学部の情報科学、理学部の生命科学、他大学の臨床心理コースの方などが参加していました。学力もてんでバラバラ、背景知識もバラバラなので、議論の内容はたまに上ずり、たまに本質を突くという刺激的なものでした。
 こうした縁で得た人脈で、いくつかの学部外の研究会に顔を出させてもらったり、ときに講演をさせていただくこともありました。いずれもまったくの専門外の研究を知るいい時間でした。

専門分野外の方との交流はとても楽しく、また自分の研究の相対的位置を自覚する媒体にもなります。


 ちなみに、私の持論ですが、北大のように(比較的)閉じた空間で研究する場合、自分の立ち位置や専門性についての感覚が狂うことがあるようです。かなり絞った内容の研究をしているのに、その自覚がないというのはよく起きることです(周りにはその専門的な内容について知っているひとばかりなので)。ですから、自分を相対的に捉え、専門外の人にも概要を説明できるようにする能力は非常に重要です。だから学外/分野外との交流は研究においては必須とも言っていいほど重要だと言えます。そしてその重要性は、博士学位を取得するときにこそ重要になります。修士くらいだと実はそんなに大事ではなかったりします…(あくまで個人的な感想です)。

MixではなくJoin


 さて、院生生活をするうえで、研究室を自分の所属する場所だと認識し、ストレスなく使用することは非常に重要です。いつまで経ってもお客様気分では、よい研究はできません。「居座る」ことを当然として、遠慮や気づかいといった余計なことに認知リソースを使わず、すべて研究に回すこと、それが重要です。ちょっと昔話をします。
 私は中学、高校、大学ともにろくな人間関係を構築してこなかったので、先輩院生とまともに交流することは難しいと考えました。日常的な会話をしていくうちに仲良くなって、やがて気遣いもそこそこに遠慮なくものを言える関係にゆっくりと・・・などできるはずもありません。大体が、しっかり自己紹介をするような機会もなかったので、名前も、どういう研究をしているのかも知らない先輩がたくさんいました。
 もちろん、ラボのゼミで研究の話を聞く機会があれば別ですが、数か月に一回、場合によっては数年に一回しか御鉢が回ってこないゼミ担当、しかも研究の概要ではなく、研究発表のスライドの修正なんかがメインになることもあり、研究内容や略歴を知る機会としては微妙でした。
 だから、まとめてやってしまおうと画策しました。「僕が料理を作るので、先輩院生全員参加で自己紹介のスライドを作ってください。10分くらいでいいです。飯を食いながら酒を飲みながら僕ら後輩に研究内容を紹介してください。やってる勉強会の宣伝とかもそこでしてください。脳波の被験者を集めてるならそこで募ってください」。もう一度言いますが、私は外部入学者で、研究業績もない(大学で卒論がありませんでした)、かつ友達が少なくコミュニケーション能力も少ないという具合でしたが、それでも実行できたのですから、このくらいのことはあなたにもできるはずです。
 お好み焼きかたこ焼きか忘れましたが、粉モノとビールと適当なワインを用意して、20人くらいが集まってわいわいやりながら、先輩が用意したスライドにやいのやいの言い合っていました。さすがに発表をされた先輩の顔と名前、研究の内容は把握しました。とても面白かったのを覚えています。研究発表の場ではないので、研究の展望やデータから示唆されることなど、ついつい口が滑って大きなことを言ってしまう様子が面白かったです。

2年で一生分のたこ焼きを焼いた気がします。


 そうして割と強烈な個性を発揮したので、多少の礼儀知らずや尖った性格は多めに見てくれるようになりました(単に皆さんがおおらかだっただけかもしれませんが)。調子にのって月に一回の交流会をするようになりましたが、数か月後のある日、研究室の空調が壊れ、修理に来た業者の方が「通常では考えられないような量の脂が換気扇のフィルターにこびりついているのですが、何か心当たりは」と質問してきたので、そこで終了となりました(数万円の出費だったとのちに聞きましたが、明確な因果関係はないとのことで厳重注意どまりにしていただきました)。
 よく、日本ではグループに入るときに「混ぜて」と言いますが、米国では「Join」と言うらしいです。集団というものが混然一体となった何かである、という日本ならではの感覚はよくわかります。ですが、大学院生の集団には適していません。全員が個性的な、混ざらないレアメタルのような人たちです。つまり、Join、集団に踏み入っても個を保持したまま、自分の領域を確保してガツガツ研究するメンタリティが必要です。少なくともちょっといい会社のように、新入社員を気遣って溶け込めるようにあれやこれやと気を回してくれるような組織的な働きは期待できませんので、自分で物理的・精神的居場所を確保する必要があります。

 次回、大学院生の私生活の学外編。大学での生活がメイン、ではその敷地から出るときはどんなときなのか。そしてなぜアルバイトをしすぎると「詰む」のかを説明します。


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