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畜生にも劣る人間

何かを書いたり喋ったりする時は好きなものについての方が饒舌になるものなのだが、今日は僕がとても嫌いなものについて書いてみることにする。

昨日、駅のロータリーでペットのフクロウを連れて座っているおじさんを見かけた。通行人は足を止めて、物珍しそうにフクロウを眺めたり、おじさんに話し掛けたりしている。大きな公園などに行くと時々、フクロウだけじゃなくフェレットや大きなトカゲのような珍しいペットを連れて衆目を集めている人を見たことがある人もいるかもしれない。僕はこういう人たちのことが大嫌いだ。

まずもって、ペットを餌にして注目を集めてやろうという性根が気に食わない。お前はフクロウの添え物に成り下がっているんだぞ?それでいいのか?今目の前にいる人がお前に話し掛けているのはお前に興味があるからじゃない、お前のペットのフクロウに興味があるからってだけなんだぞ?それでチヤホヤされた気になって満足なのか?お前は畜生にも劣る人間になっているんだぞ。それは余りにも惨めじゃないか。そう思うのである。

僕は舞台俳優だったりお笑い芸人だったり、しかるべき場所でしかるべきことをやって人の注目を集める仕事を本業としている。だからこそ、こうやって姑息に目立ちたい人たちの心根が嫌いなのかもしれない。街なかで奇声を上げる若者や、公共良俗に反するような過激な格好をして街を闊歩するような人のことも嫌いだ。ただ奇異の目を向けられることで目立ちたい願望を満たしてんじゃねーよと思って腹立たしい気持ちになってしまうのだ。

とは言え、目立ちたい、チヤホヤされたい、誰かに自分のことを見てもらいたいという願望は人ならば誰もが持つものだ。それを得られなかった人たちが、フクロウの力を借りることで衆目を集める快感を覚えてしまったら、それは仕方のない行為なのかもしれない。誰でもない存在から「フクロウを飼っている人」という何者かになることで自己実現をしているのならば、例えば目立ちたくて犯罪を犯すような人と比べればそれも真っ当な手段だと言えるのかもしれない。それでもフクロウ以下の存在になっているのに得意げにしている姿を見ると、どうもやり切れない気持ちがムクムクと湧き上がってしまうんだよなぁ…。僕もまだまだ小さい人間だということですね。

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