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山からの便り

もともと芝居をやっていた頃の仲間なのだが、役者を辞めて長野の山で炭焼き職人になった友人がいる。僕と同世代の男だが結婚もせず、1年のほとんどを山に籠って炭を焼いて暮らしてもう15年近くになる。役者だった頃も変なやつだったが、相変わらず変なやつで、俺とは妙にウマが合った。

そいつからはだいたい年に一度か二度、忘れた頃に連絡があって、2人で酒を飲む。炭焼きの仕事についてや、お互いの近況、共通の友人が結婚したとか子供が生まれたとか、そんな世間話を一通り終えて酔いが回ってくると、いつもそいつは、「人って何のために生きているんだろうなぁ」などと、ちょっと小難しい話題を振ってくる。こういう議論はお互いを否定して論破し合うような展開になりがちだが、そいつとはちゃんとお互いにお互いの意見を聞き、その上で自分の考えを返したり質問をし合ったりすることが出来た。真面目な話が出来る友人というのもなかなか貴重なものだ。お互いに酒も回った状態ではあったが、そうやって有意義な議論を交わす時間がとても好きだった。

まだこんな世の中になる前、2年前の正月に会った時にそいつが振ってきたのは、「人を好きになるってどういうことだと思う?」という議題であった。『好きというのはこういうことなんじゃないか』『じゃあその好きは性欲とどう違うんだ』『所詮自分の欲望を満たすための打算なのではないか』『打算だったとして、それで何が悪いのだ』…。侃侃諤諤。酔っ払い同士の幼稚な議論ではあったが、ちょうど俺自身恋愛に悩んでいた時期でもあったので、いつも以上に議論は熱を帯びた。少し議論が落ち着いたところでそいつが、「結局なんでもないことを共有したいって思うことが、好きってことだと思うんだよな…」とポツリと言った。「今日は雨だったねとか、今夜は月が綺麗だよとか、そういうちょっとしたことを伝えて共有したいって思う気持ちがさ、好きってことなんだよ」と。それに関しては俺も完全に同意だった。俺たちは酒を酌み交わし、そしてその日は別れた。

それ以来、コロナの問題もあって彼とは会えていない。もともとお互い用もないのに頻繁に連絡をする方でもないので、全然連絡も取っていなかった。そんな彼から先日、『元気でやってるか。こっちは桜が咲いたよ』という短いLINEがきた。はっとした。全て察してしまった。彼が何故、山から降りてくるたびに俺を飲みに誘ってくれるのか。前から少し不思議に思ってはいた。そういうことだったのだ。そして俺はその想いに応えることは出来ない。でもきっと彼もそんなことは分かっているのだ。それでもこのLINEを送ってくれたのだ。それが嬉しく、申し訳なく、ありがたく、悲しかった。『久しぶり。元気やで。こっちも満開だよ』と短い返信を送った。向こうの真意は分からないが、それだけのやり取りで互いの気持ちは全て通じたと思った。俺たちはそういう関係だった。これで良かったのだ。

コロナが落ち着いたらまたいつもの顔をして2人で飲みに行こう。今度はどんな話が出来るか、とても楽しみにしている。

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