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幼年期の記憶

『自分史』というタイトルにして、自分の半生を振り返ってみようと思って書き出してみたが、思いのほか大ボリュームになりそうだったので、ひとまず幼年期のみに搾って記憶を書き連ねてみることにした。

1979年、香川県三豊郡(現観音寺市)豊浜町に産まれる。後にハマる世界名作劇場『赤毛のアン』も1979年放送。

幼児期、当然ながら記憶はない。めちゃくちゃ立派な五月人形と一緒に写っている写真が現存しているので、長男として随分溺愛されて育てられたのだと思われる。

2年後に妹、5年後に下の妹が産まれる。

風呂なし汲み取り式トイレ、平屋の借家に住んでいて、風呂はおよそ徒歩5分の所にあったじいちゃんちに入りに行っていた。風呂の行き帰りの夜空を見て星に関心を持つ。星の図鑑を買ってもらって星座をいくつも覚えていたはずだが、もうほとんど忘れてしまった。

玄関にあったかまち(床の高さが変わるところに渡した横木、引き戸に使われている枠のこと)によくすねをぶつけて痛がっていた。

サンバルカン(81年放送)、シャイダー(84年放送)などのおもちゃを持っていた記憶がある。再放送されていたウルトラマンの怪獣のソフビ人形もたくさん持っていて、怪獣たちを並べて得意げに撮った写真が残っている。尻尾がなく自立出来なかったバルタン星人だけ手に持って写っている。

1984年、おそらく初めて映画館で映画を観る。84年版の『ゴジラ』。怪獣好きで親にねだって連れて行ってもらったのだろうが、これ以後フナムシが軽いトラウマとなる。

親戚のねーちゃんの影響で、マッチ(近藤真彦)が好きだった。「あおんちゅべいびーあおんちゅべいびーあおんちゅべいびー、ライオン!」と歌うので、両親は「ライオンって何だ?」と思っていたらしい。ギンギラギンにさりげなく、1981年の曲のようです。

夏は毎年近くの海で真っ黒になるまで遊んでいた。水筒に入ってキンキンに冷えた麦茶の記憶。

地元の幼稚園に通う。初日に、「君はそこ!君はここ!」と同級生に指示を出して遊んだ記憶だけがある。給食で牛乳が出て牛乳好きになり、家でも食事の時は牛乳を飲むようになる。今でも実家に帰ると母に、「まだ牛乳好きなん?」と聞かれたりする。

デパートで妹と2人で迷子になり大泣きする。妹はケロッとしていて、兄なのに取り乱して大泣きしたことを恥ずかしく思う。『兄らしく』『男らしく』みたいな社会性と向き合い、コンプレックスを感じた初めての経験かもしれない。

夜は8時に寝なさいと言われていた家だったが、『8時だョ!全員集合』だけは起きて見させてもらっていた。たぶん僕の笑いの原点のひとつ。裏番組だったはずの『オレたちひょうきん族』の記憶もあるので、後期はひょうきん族も見ていたようだ。

もうひとつの笑いの原点は『トムとジェリー』。「喋らないやつがいい」と言ってたらしいので、初期のサイレントのやつが好きだったようだ。後にDVDを買って見返した時は懐かしさに震えたものだ。

幼少期は小児ぜんそくに苦しむ。幼児期はぷくぷくに太っていたが、小児ぜんそくになってヒョロガリに痩せる。今思えば父親がヘビースモーカーだったせいではないかと思う。今ならネグレクトと言われても仕方ない所業だが、まあ時代だよね。

小学校低学年、じいちゃんちを壊して二階建ての新居を建てて引っ越し、じいちゃんばあちゃんと同居になる。自分の部屋をもらって小児ぜんそくは改善、中学になる頃にはすっかり良くなる。やっぱり親父のタバコのせいだったんじゃねーか。

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