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何ものにも寄りかからない身体をつくる(その2)

さて、感性についてのお話を続けさせていただきます。

感性・感覚・直感の関係について
感性
は、生命の働きそのものですね。生きるためには情報処理をしなければならない。その性能の向上が生物の進化とイコールだと僕は考えます。

そして、僕は感性大地に例えて説明しています。


感性大地だとすると、感覚はそこに生えているセンサーのようなもの。そして、直感は、よく使われることで性能の上がった感覚のこと。

前回、お話ししたように、直感は情報を判断する入り口です。直感はよく使われることで性能の上がった感覚と言いましたが、もし、その直感ではうまく処理できない情報を与えられたとしたらどうなるでしょう?

当然、エラーを起こしますよね。行動経済学を打ち立てた功績でノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマン博士も、「直感は、9割は正しい判断を下してくれるが、残りの1割は系統的エラーを起こす」と言っています。

理性(System2)が、論理的に「その直感は、この情報判断には使えないよ」と伝えても、大先輩である直感(System1)は聞く耳を持ちません。それどころか、その情報が感情に訴えるようなものの場合は、理性は、直感で判断したものに理由づけを行なってしまうのです。

つまり、いくら学校で論理的思考を学んでも、直感を制御できない限り、情報に対して判断を誤ることになってしまうのです。

直感を制御するということは、別の感覚を発動させるということ
直感
を制御すると言いましたが、直感そのものを否定するのは危険です。人は自分の感覚を否定されると鬱になるからです。自分の感覚を疑ったり否定するためには胆力が必要となります。なんて面倒臭いんでしょうね(笑)

ではどうすればいいのか?

別の感覚が発動しやすいようにするしか手はないというのが僕の考えです。

別の感覚が発動するようになる条件は、その根源である感性が活性化されている必要があります。
感性大地感覚はそこから生えているセンサーレーダー、そして直感はよく使われることで性能の上がった感覚という話を思い出していただきたいと思います。

豊かな大地を育む
感性
という大地が活性化して豊かな土壌のような状態になっていないと、感覚というセンセーレーダー多様性は望めません。使える感覚の多様性を生み出すためには、土壌である感性活性化しなければならないのです。

さあ、やっと表題の「何ものにも寄りかからない身体をつくる」という話に近づいてきました(笑)

僕が強度の鬱から脱することができたのは感性を活性化することができたから
鬱というのは自分に対する直感的判断が常に否定的に働いてしまう状態です。僕もそうでした。朝から晩まで自己否定を繰り返していました。そして無気力なっていく。病院にいったり、カウンセンリングを受けたりしましたが一向に改善しない。自己啓発や哲学、宗教の本も読み漁りましたが、一時的な効果(一晩寝たら元に戻る)しかもたらさない。医者もカウンセラーも本も、一生懸命、僕の自己認識の意味づけを変えようとしてくれました。論理的に考えて、僕が自己否定する必要はないということをいろいろ教えてくれたのですが、全く効果がない。


意味づけで感性=生命力が活性化する段階は超えてしまっていたのです。

整体協会(通称野口整体)の身体活性研究所に入門して最初に行うのは動法と呼ばれる稽古でした。

その目的が、何ものにも寄りかからない身体をつくるということだったのです。

イデオロギー、地位、職業、趣味、人種、年齢、性別といったあらゆる意味づけに寄りかかるな。身体の中に多様な直立感が発生するように感性を活性化させろ。

稽古を続けて二、三年で強度の鬱は解消しました。

それから、自分の直感を疑う胆力も養うことができ、自営業というVUCA極まりない生き方を今まで続けてくることができたのです。

今後のことは分かりません。

分からないけど、身体活性の手法を日々更新させることで生存基盤を作り、意味活性を商売の種にする。

僕の場合は、そういういう生き方を貫いていくしかなかったし、これからも死ぬまで続けていくしかない生き方です。

本当は誰かに雇ってもらいたいのですが(笑)


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