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記録1

引用
 『彼の手の動きは見事という他はなかった。小さな決断がつぎつぎと下され、対比や均整の効果が集中してゆき、自然の植物は一定の旋律のもとに、見るもあざやかに人工の秩序の裡へ移された。あるがままの花や葉は、たちまち、あるべき花や葉に変貌し、その木賊や杜若は、同種の植物の無名の一株一株ではなくなって、木賊の本質、杜若の本質ともいうべきものの、簡潔きわまる直叙的なあらわれになった。』


記録
 この描写が作中にどのような意味なのかは割愛させてもらう。しかしながら、これほど端的に込められた簡潔な描写で、読み手に明晰な想像を提示し、その一つの道のなかで豊潤さをもたらしてくれるとは感嘆するばかりである。氏は豪華なレトリック、その堅牢な建造物のような文章が専売特許みたいなところが見受けられるが、このような一つな道の中で豊潤さを幻視させてしまうのも得意だったのではないかと思われる。その辺の書き手であれば、このような描写は絶対にしないだろうし、できるはずながないと思ってしまう。その辺の書き手であれば、その花々が切られてゆくところを単調な描写で乗り切るだろうし、その後、その意義を私という一人称視点で淡々と書くであろう。それも、正解だと思うし、大衆はそのような表現を大変好む。それは非常にわかりやすいし、理解しやすいからだ。しかし、氏のこの描写は正解をも安易と乗り越え、唯一無二のものになってしまった。これ以上の描写はありえないと思えてしまうのが氏の感嘆すべきところであり、恐ろしいところでもある。あるがままからあるべきへの遷移、溜息が出るほど素晴らしいし、嫉妬する。無駄がない上に、最大の効果をもたらしてくれる言葉たち。氏にとってはそこまで力を入れていないのもわかるが、その力みのない描写にこそ本質が見えるような気がする。

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