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2023.07.23 日曜日


この時期、大体、7月の中旬ぐらいからだろうか、夏の甲子園の切符を掴むために、日本全国、多士済々の高校球児が、47都道府県の代表を目指して、しのぎを削ることになる。

僕は、物心がつく前から、ずうっと、野球のことが大好きだ。ちなみに「play」ではなく「watch」専門である。つまるところ「見る(観る)専」というやつだ。とはいえ、草野球ぐらいはやったことがある。だが、平凡な外野フライをバンザイしてしまうぐらいの腕前だ。有り体に言えば、素人同然である。

ただ、それでも、たとえ「見る専」だったとしても、物心がつく前から、だから、ザッと考えて、25年ぐらいは、野球観戦に勤しんでいることになる。そうなってくると、自ずと、野球について、多少なりとも分かって来たりするものだ。たとえ、平凡な外野フライをバンザイして、後ろに逸らして、ランニングホームランを献上するような腕前であったとしても。

※「その自虐ネタしつこいなぁ」と思われた方へ。ごめんなさい。草野球で「3番センター」を任されて「丸佳浩やっ!」と喜んだのもつかの間、大失態を犯した一部始終が、未だに脳裏に焼き付いているようです。

※あと、どっちかと言えば「左投げ左打ち」も考慮すれば、2022年頃の近本光司(1番島田・2番中野・3番近本)、と言った方が、まだ近いかもしれません。というか、そもそも、僕は関西人なので、そう言った方が、周りとしても盛り上がりやすかったでしょうに。なぜならその当時,既に丸佳浩は、読売ジャイアンツに移籍していたのだから…。

違う。そんな話がしたいわけじゃなかった。アイドリングトークはこの辺にして、そろそろ、本題に入って行きましょう。

冒頭で触れたように、この時期は、各都道府県の地方予選の結果が、スポーツニュースのトップ記事に、度々流れて来る。特に目に入って来るものは「波乱!強豪校の〇〇が敗退!」などといった、センセーショナルな見出しでコメント数を稼いでいる記事である。

僕は、そういった記事の見出しが目に入るたびに「また今年もやってるのか…。」という心持ちになってしまった。そう。今年「も」波乱なのである。もっと言えば、今年「も」波乱続きなのである。

これ、なんか、日本語、おかしくないですか。「波乱」って、滅多に起きないであろうことが実際に起きてしまったから「波乱」じゃないんですか。僕はそう解釈しているんですが。にもかかわらず、毎年毎年「今年は大波乱だ!」とか言ってませんか。僕の勘違いですか。すいません、全ての記事のタイトルを保存しているわけじゃないので。言ってしまえば、僕の認識一つの話なんですけども。なので「偏見」と前置きした上で主張させてもらいますけども。少なくとも僕は「いっつも波乱って言ってるよね(笑)」という、冷ややかな視線を向けてしまうのです。

※カチンと来ると敬語口調になるタイプ。

そんな中、今日、目に入って来たのは、直近のセンバツでも優勝候補の一角として注目を浴びていた広陵が、順当に地方予選を勝ち抜いていることを示した記事だった。今回の話に即せば、番狂わせは起きなかったわけなのだが、問題は、ソコではない。僕が着目したのは、勝敗うんぬんではなく、広陵のエースピッチャー、髙尾響投手のコメント内容なのである。

以下、僕が「うん?」と思った箇所を、引用する。

【引用開始】

ただ、一つだけ(髙尾響投手が)マウンド上で意識していることがあるという。

髙尾「油断しないことです」

選抜の準決勝で自分たちに勝ち、優勝した山梨学院や準優勝した報徳学園(兵庫)など、全国の強豪が次々と地方大会で敗退するニュースを耳にする。

髙尾「力があっても、守りに入ったり、隙を見せたりしたら、やられる。この夏の結果を聞いて改めて感じています。だから、よりいっそう、どんな時も強気に向かっていく気持ちを心がけています」

【引用終了】

さて、皆さんは、この箇所を読んで、どう思うだろうか。どう感じるだろうか。「別に何にもおかしなこと言ってなくね?」と感じる人が大半であるのならば、まぁ、じゃあ、僕の感性がおかしいのだろう、と思う。大丈夫。内心、自覚しているから。何が大丈夫なんだろう。言っている僕自身、良く分かっていない。

まず、この発言は別に問題ないでしょう、と思う部分から触れて行きたい。髙尾投手が「この夏の結果を聞いて改めて感じています」と述べることは、僕は何とも思わない。いや、何とも思わない、と書くと、語弊があるな。違う表現にしよう。「殊勝なコメントだなぁ」と思う。うん、これにしよう。要するに「うん?」と疑問を呈したい内容ではなく「なるほどなぁ」「さすがは広陵のエースナンバーだなぁ」と唸らされる、そういうベクトルのコメントであると思うわけだ。

なぜかと言うと、このコメントは、他校の敗戦を自らへの戒めとして活用する、という、高校生離れしたモノを感じさせてくれるからだ。勝敗はゲタを履くまで分からない。ソレを、言葉で聞くだけではなく、自分事として捉えさせてくれる、対岸の火事でないぞ、与し易しと思い込むなよ、慢心すると一瞬でやられてしまうぞ、と、自らに言い聞かせるように「油断しないことです」と述べたのだろうな、と思わせてくれたのだ。

一方、その書き方はどうなんだろう、と思う部分は、髙尾投手のコメントではなく、記者が話の流れで付け足したと思われる文章、センバツ優勝校の山梨学院と、センバツ準優勝校の報徳学園が、地方大会で敗退したことに言及しているところ、ココは読んでいて「いやっ」という感情が沸き起こってしまった。

記事を執筆された記者の方が、どういう思いで、山梨学院と報徳学園の敗退に触れたのかまでは、僕には分からない。ただ、これだけは言える。髙尾投手が「この夏の結果を聞いて~」と触れるのと、記者の方が「強豪校が地方大会で敗退~」と触れるのとは、全然、ワケが違ってくるよね、と。

こういう書き方をされてしまうと、どうしても、僕には「山梨学院や報徳学園はセンバツで好成績を残したのがアダとなった」だとか「自チームと相手チームとの力量差は歴然としている、などといった油断が、敗退に繋がった」などといったニュアンスを、言外に感じてしまうのだ。

おそらく、直接、問いただしたとしたら「そんな意図は全く無い!」と、強い語気で弁明されることだろう。そして、その言葉には、おそらく、100%、嘘偽りは無いのだろう。とはいえ、いや、だからこそ、何か他の表現は無かったのかしら、と思えてならないのだ。

もしかすると、記事を書いている記者自身、ホントはこんな表現を使いたくないけれど、アクセス数やコメント数を増やすための措置として、こう書かざるを得ない、なんていう事情もあるのかもしれない。今回に関しては、そういうことについては考慮していないので、悪しからず。やむにやまれぬ理由があったのであれば、僕の知識不足でした、の一言で終わる話でもあるのだけど。それでも、やっぱり、解せない。看過出来ない。好き嫌いの話で言えば、僕は、こういった書き方、好きじゃない。大嫌いだ。

大嫌いついでに申しておくと「強豪の〇〇(高校名)、まさかの初戦敗退!」などといった表現も、やめてほしい。どうせ書くのであれば「まさかの初戦敗退!」ではなくて「△△(高校名)大金星!〇〇を撃破して二回戦へ駒を進める!」の方が、よっぽど良い。しかし、あいにく、ゼロとは言わないまでも、8~9割ぐらいは、前者の書き方で見かけるように思われる。

その話をすれば「波乱!」とか「波乱続き!」という書き方も、やっぱり好きじゃない。もしそういう記事を書くのであれば「ジャイアントキリング!」の方が良い。言ってしまえば同じことだ。「負けた」ことに焦点を当てるのか「勝った」ことに焦点を当てるのか。どちらかを選択するのであれば、僕は、勝った方を選びたいなと思う。なぜなら、そっちの方が、読んでいて、心がワクワクするから。至極当たり前のように思われるのだけど、現実は、負けた方に焦点を当てた記事の方が、目につく。

さらに言えば「なぜ〇〇(強豪校)は地方大会で姿を消すことになったのか?敗因となったのは△△と◇◇?」といった風に、論理立てて解説を加えていく長文の記事も、チラホラ見かけたりもする。これはさすがに注目度がかなり高くないと記事にならない印象があるが、正直言わせてもらうと「性格悪いなぁ…。」と感じてしまう。ただし、繰り返しになるが、記者の方が書きたい/書きたくないにかかわらず、アクセス鵜やコメント数を稼ぐために、書かざるを得ない、のであれば、致し方ない、とも思っている。なぜなら、それが、彼ら彼女の仕事なのだから・・・。

そんなことを思案していると、最終的に着地するのは、決まって「記者って難儀な仕事だわ…。」という、リスペクトの念である。それで言えば、僕は、お気楽なものだ。「書きたいことだけ書く」というスタイルで書き綴ることが出来るのだから。何のしがらみもない。だけど、記者の方は違う。会社の上司から面倒な指示を色々と頂戴しているのかもしれない。全く書きたいと思えないネタであったとしても「でも仕事だから…。」と割り切って、デスクワークに四苦八苦しているのかもしれない。

そうやって思いを巡らしていると、今日、アレコレと書いてようなこと、記事の内容を見るやいなや「うん?」と、物言いを行ないたくなるような文章に出会っても「でもまぁ、記者の方も、これが仕事だからな…。」と、寛容な自分を作り出せるような気も、うっすらとはしていて。うっすらとは、ね。

というわけで、今日の話を全てひっくり返してしまうような発言かもしれないけれど、一言でまとめると「想像力って大切だよね」ってことなんじゃないかなと、思う。色々な意味合いを付与した上でね。想像力。「~だろう」ではなく「~かもしれない」。この精神を持つことが大切なのは、なにも別に、車の運転だけじゃない。人生を生きて行く上で最も重要と言っても過言ではないはずだ。

髙尾響投手へのインタビュー記事を執筆した記者の方のおかげで「~かもしれない」という想像力を常に意識すること忘れないようにしよう、と思わせてくれた。ありがとうございました。

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