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映画「正欲」を見に行ったら、原作と解釈違いすぎて「うわあああ」ってなった

先日、映画「正欲」を見に行きました。朝井リョウさん原作の小説の実写化で、僕は原作に完全にやられたのでワクワクしながら見に行ったのですが、なかなか許容できない改変が多く、全然フラットに見れませんでした。同じ朝井さん原作で神木隆之介さん主演の「桐島、部活やめるってよ」は、独自の改変をしつつかなりいい出来になっていたのもあって期待をしていただけに、かなりがっかり……。

以下、解釈違いだった点を書いていきますが、基本愚痴となっているので、この映画好きだよって人はお気をつけください。物語の核心部分は基本的に避けますが、映画・原作ともにネタバレも含まれますのでそちらも併せてご注意いただけたらと思います。

八重子と大也の衝突

誰もが経験したことのある、生活の中にうっすらと流れていて、みんながみんな平穏のために本音を隠しながら腹の探り合いをすることで生じる、あのどことなく張り詰めた緊張感。

それが一気に弾けるカタルシスというのは、『何者』を筆頭に朝井作品の真骨頂とも言える特徴だと思っているのですが、原作の『正欲』における八重子と大也の衝突は、もはや最大のクライマックスと言っても過言ではないほど、作中屈指の名シーンです。

映画では2人のシーンの少なさもあり、もちろん原作ほどのインパクトはありませんでした。

個人的には大衝撃を受けたシーンだったため残念ではありましたが、ただ尺の問題やモノローグを封印された映像作品という媒体の性質的に、そのよさを十二分に発揮することは難しいだろうなと考えていたので、ここについては「みんな原作も見てくれ」という気持ちになるくらいで、実はそんなにダメージを受けていません。

しかし、それ以外の場面、特に夏月まわりの描写がことごとく解釈違いで、「なんでそうなるん……」という落胆を覚えるのを禁じ得ませんでした。

夏月の描写

受け入れらなかった点は結構あるんですが、とりあえず夏月まわりは何かと「?」の連続でした。

まず、原作で夏月と佳道が再開するきっかけとなる“あの事件”を省略したのは痛い……。まあ流石に意地悪すぎて描けなかったのかもしれないですが、だったら実写化なんかしちゃダメなんじゃないかとさえ思うくらい重要な出来事だと思っているので、「いやほんと、なんで省略したん……」とうなだれてしまいます。

“あの事件”で夏月が抱くインモラルな感情にこそ、彼女の“社会の道理の外に弾かれた存在”としての切実さが浮き彫りになるのに……。いやほんと、なんで省略したん……。

あと、全体を通して夏月がただ勝手に塞ぎ込んでる厄介なやつみたいになっているのも解せない点です。

夏月の社会への認知は確かに歪んでこそいますが、世間に理解されるのは完全に諦めて、でもせめて自分の抱えている闇がバレないように、周囲に迷惑をかけないように最低限取り繕って生きているのが夏月なのであって、うざい同僚に暴言を吐いたり、ましてや勝手すぎる勘違いで家に植木鉢を投げ込むような嫌なやつじゃないのにな……。

大晦日のシーン

大晦日のシーンも、夏月が自殺を考えて実行に移そうとしたとき、偶然佳道を見つけて踏みとどまるというのが、原作の流れです。

家族や同僚などさまざまな人間関係から弾かれ、社会との紐帯を失いかけた人間が、同じ特殊性癖を持つであろう人物を偶然発見し、最後の拠り所として声をかける。すると、相手も偶然同じ状況で、2人は最後のチャンスとして、彼らにとっては生きづらいこの世界を何とか生き抜くための同盟を組む。

こうした偶然の連続こそが奇跡なのであって、映画のように夏月がただ単に人を轢くのを避けたら(しかも、その反応は普段夏月が弾かれているはずの体制側に与する非常に倫理的なもの)、それがたまたま佳道でしたなんて展開じゃあ、全くもって原作の意図を汲めていないと感じてしまうのですが、僕だけなのかなあ。

その他、気になったところ

この辺りの展開まででもうかなり落ち込んでしまったので、そのあとはあんまり頭に入ってこなかったんですが、後の会話も結構違和感があった気がします。

尺の都合もあるんでしょうが、何気ない会話が少なめだった分、何となくただパンチラインを切り貼りしただけのセリフが続いているような感覚を覚えてしまい、あんまり集中できませんでした。

全然フラットに見れなかったのであれなんですが、初見の人は分かったのかな……? 会話というのは、やはり何気ない無駄話の中にこそエネルギーが潜んでいるんだなと思い知らされました。

あと、これは完全に好みなんですが、稲垣さんの演技が大分軽めなイメージにチューニングされていて、寺井が浅薄な印象に映ってしまい、小説を読んだときに抱いた堅物感を全く感じられなかった点もちょっと解釈違いでしたね。

ちなみに、原作を読んだ後は「杉本哲太さんとかピッタリだろうなあ」なんて思ったりしてました。三浦透子さんがやる夏月も見てみたいので、ドラマ化とかしないかなあ。

よかったところもあったけど……

とまあ、原作に感銘を受けたものとしては大分がっかりした点が多かったのですが、もちろんよかったところもあります。

正直、あのガッキーが濡れ場(自慰行為)をやるという挑戦的な表現によって、背徳感のある興奮を否応なしに観客に与え、その上で異性愛(もとい同性愛でさえ)に基づいたその感覚自体が、実はある種特権的なものなのだということをその後の展開でまざまざと突きつけようとするオープニングシーンのグロテスクさは秀逸でしたし、結婚式における内輪ノリの薄ら寒い感じや、感傷的な思い出を演出しようと「レアな友達まで全員揃った」という状態を作るためのいわば道具として、内輪の外から呼ばれたものたちのあのいたたまれない滑った感じとかは、思わず身をよじってしまうほどリアルで、映像化の意義を感じました。

それだけに最初の方なんかワックワクしてたんですが、なんとも惜しいなあ……。まあ、とりあえず、原作読んでない人は原作読んでください。マッッッジですごいんで。原作読んで、マジで。

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