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私が陸上競技を始めた理由

陸上競技との出会い

私は小学校の頃、球技クラブ、将棋・オセロクラブとインドア、アウトドアと幅広いクラブに所属していた

球技は正直そこまで得意ではなかったが、放課後友達とサッカーしたりスポーツすることが好きだった

そんな私の人生を変えたのが陸上競技だ
小学校から中学校に入学するタイミング
同じ東大阪市の中学校に入学するため同じ小学校の友達がたくさんいた

小さい頃から絵を描くことが好きで当時、美術部のクラブ体験に行ったことは記憶にある
友達の半数以上が、サッカー部に入部し正直友達について行こうかと心が揺らいだ
しかし、友達と一緒のことをすることに少し抵抗があった私は、陸上競技部という新しい世界に足を踏み入れ、入部を決断した

これが、私と陸上競技との出会いである
意外にも憧れがあったわけでもなく、走ることが大好きなわけでもなかったため、ただただ入部してみようと決意した

私が入部した陸上競技部は、

大阪中学総体 男子100m 1位
全中大会 男子走り幅跳び 優勝
全中大会 女子走り高跳び 2位
ジュニアオリンピック 男子円盤投げ 2位
日本インカレ 男子三段跳び 6位

他にも近畿大会や全国大会などに出場する選手を輩出していた強豪校であった

中学1年生

この頃は陸上競技を始めたばかりなので何も分からずただただメニューをこなす日々だった

デビュー戦はある程度の走力を把握するため1年生は全員100mと1500mに出場しなければならない

デビュー戦の写真(真ん中の白服が私)
当時の花園競技場はブルータータンではなかった


結果は詳しく覚えていないが100mも1500mも学年では全然速いほうではなかった
1500mに関しては6:30.00前後かそれよりも遅かった記憶がある 正式な記録は全然覚えてない

デビュー戦の後、監督や個人の意見を聞きながら短距離、中長距離などのパート分けを行う
私は、なぜか中長距離パートに入った
その時の理由は特になかったと思う

1年生の時は、3年生の先輩にすごく憧れていて「はやく同じレベルで走りたい」その一心で朝練、午後練とひたすらに食らいつく日々だった

主な練習は(3年間大きくは変わらなかった)

直線50mダッシュ 50m折り返しジョグ
これを10セット〜30セット 
通称 〇〇(回数)ラン 例10ラン
乳酸溜まりまくってめっちゃきつかった練習

週末恒例の練習
3000m+1500m+800m(逆かもしれない)
この練習がバカきつい

200m〜400mのインターバル 間jog

jog(30分〜40分)

4000m〜6000mのPR 頻度は少なかったはず

補強 サーキット
とにかく基礎練習を徹底していた

監督が幅跳びの指導者なのでハードルジャンプやミニハードル、ホッピング、立ち幅跳びなどバネを意識する練習を徹底して行っていた

集団で動き作り、ラダードリル

メディシン補強も徹底してた
ランジ30m 10〜20往復

このような練習を逃げずにはやくなりたいその一心で取り組み続けた結果1年生の7月に行われた万博ナイター記録会で1500m5:30.00切りを達成することができた

監督からもこの大会では5:30.00切り目指そうと共に目標を掲げ挑んだ大会だった
レース終了後、心の底から嬉しく陸上競技の魅力や楽しさをはじめて経験できた大会になった

1年生の時は中河内駅伝のメンバーに選ばれることはなかったが駅伝のメンバーに選ばれたいと思うようになったきっかけでもあった

中学1年生の最終的な記録(探して確認できる)は、1500m5:22.3
デビュー戦で6:30.00前後だったことを考えると1分以上更新した1年となった

大きく記録を更新した中学1年生
果たして中学2年生ではどのような結果が待っているのだろうか

1年に1回出場する枚岡クロスカントリー
中学生で枚岡クロカン走るのはなかなかハード
まだまだ線も細いしヒョロヒョロ

次回に続く

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