見出し画像

愚痴るのにも美学がいる


完全にこっちの話なのですが、ここ最近の心の叫びをあえてここで文字にさせてください。

なんでわざわざ英語にするの??!いる??!
需要ある??!伝わってる??!
30過ぎて英語つら!しかも専門用語の英語つら!
なんで?カタカナでいいやん!!
日本語にはカタカナがあるやん!!!!!
何サインやねん!カタカナで言って!!!!!!

ありがとうございました。
波打ちささくれ立ってた心が少々落ち着きました。


・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。


愚痴は吐くものではない、ですが、わたしにはわたしの中で吐いてもいい愚痴があると思っています。
それは吐くことによって、なにかが解決する愚痴です。
その何かとは、まさに自分のもやもや
もやもやを言葉や文字にすることによって、そのもやもやが明確に正体を表してきます。
すると同時に自分の状態と、もやもやと自分への対処法が見えてくるのです。

無事にそこの段階に行き着くと、もはやルートは解決の上に乗っています。精神が落ち着くのは時間の問題ですが間違いなくまもなく。
だからわたしはわたしのために愚痴を吐く。


ただし!
愚痴にもルール、もしくはマナーがあります!

特定の人物を傷つける表現はしない
しつこく言わない
必要以上に汚い言葉を使わない

ちーん!と鼻をかんで、ぽーいっとゴミ箱に投げたティッシュに固執しません。
鼻をかむまで鼻はぐずぐずかもしれないけど、鼻をかんですっきりしたら、そこで気分リセットです。ぐずぐずして辛かったことをいつまでもぐずぐず言わない。

もやもやと言えど、鼻がみティッシュに例えるのはさすがにあんまりですかね。
成仏させてる感じですかね、もやもやを。ちーん。


これは第三者に受け止めてもらったり理解されたりする必要はないんですよね。
あくまで自分の精神を立て直す手段なので、自分のためだけのもの、自分がうまく消化できればおっけー。

そんなの自分の日記帳にでも書けよ、と思われるかもしれませんが、自分しかめくらない日記帳に書いてるうちはまだ自分の内側なんですよね。

わたしの取り決めてる愚痴って、わざわざ誰かに”直接”言うほどのことじゃないんです。
でも”吐き出す”という行為は必要なんです。
このもやもやはチリツモのチリだから。放ってはおけない。
その”吐き出す”を擬似体験できるのがSNSな気がします。
だからみんな裏アカとか作るのかな?
でも裏アカが必要になるような内容は、わたしの中のルールに反します。それは高尚な愚痴ではない。


ということで、これからも唐突にチリツモのチリを吐き出すことあるかもしれませんがあしからず。
これで今夜もぐっすり眠れます。


タイトルに愚痴というキーワードがある時点で、閲覧数は少ないでしょうが、もしここまで読んで下さった方がいたら、最後までお付き合い頂いてありがとうございました。



この記事が参加している募集

noteでよかったこと

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?