16回:漕げども漕げども

 高校には自転車で通学していた。山あり谷ありのコースで、盆と正月以外は部活があるため年に360日ぐらいは往復20kmちょっとを漕いでいた。太腿に来る疲労感を楽しみながら、馬鹿みたいに走り回っていた。事実馬鹿だった。勉強は得意でないし、体力こそ並ではあるもののスポーツ全般苦手だった。そんな小人間であるにも関わらず、愚かしいことにどこまでも自分本位な態度を取っていた。それゆえクラスでも孤立し、友人らしい友人もいなかった。高校の同級生の結婚式には未だ呼ばれたことがない。
 そんな調子なので高校に通うのはひどく憂鬱だったが、馬鹿なので何も考えず朝になると自転車に乗った。乗り続けることで高校生活が改善されることなど何一つのないのに。誰とも会わない通学路を何かに追われるように必死に進んだ。とにかく必死だった。逃げる術すら知らなかったから半ば自棄になっていた。「あと数百回この道を往復すれば、解放されるかもしれない」まるで囚人か奴隷のような心持ちだった。そこまでして高校に通う道理など無いことにはとっくの前に気付いていたのだが。
 結局目に見える形では何も残せず高校は卒業した。大学にも落ちてしばらくは自堕落に生活しようと思った。しかし自堕落がどういうことなのかいまいちピンとこないので、図書館に行って調べることにした。最寄りの大きな図書館に行くには往復20km、結局もう一年同じコースを走り続けることになった。その一年で変わったことがあるとすれば、この世界に本が存在することを知ったことぐらいだろうか。我が家には本が一冊も無かった。それゆえ読書の習慣もなく、学校の図書室も近付き難かった。私は18歳で初めて、本を読むということを経験できた。自分を取り巻く世界は依然として窮屈であるし、焦燥感たまに襲ってくるが、ようやく一縷の逃げ道が見えた。私は言葉を読み、書くことを得た。やったね。

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