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青に居た

山と山のあいだにひっそり存在する集落に住んでいた。

家を出て道路に立ち、南を向けば海へと続く道。
北を向けばふたつの山と空。

ふたつの山のうち、東側の山を越えれば観光名所。
西側の山を越えれば学校とささやかな町。

西側の山にある緩やかな坂になったぐねぐね道をのぼって山を越えないとどこにも行けない、そんな山と山のあいだに住んでいた。


小学校高学年の時に、東の山と西の山を頂上付近で繋ぐ橋が架かった。
人工的な青の塗装が空にも緑にも映える、広い二車線道路に大きな歩道も備えた立派な鉄橋だ。
新品の橋に合わせるように東側の山の登り坂も整備されて、綺麗な二車線道路が急勾配を伴いつつ東の山のふもと近くまで伸びた。
徒歩や自転車には優しくない急な坂のためほとんど車のための道だったが、その新しい道路のおかげで曲がりくねった一車線道路での路線バスとの鉢合わせが減った事を大人たちが有り難がったことは容易に想像がつく。

集落のどこにいても北を向けば青い橋が視界に入った。
そういう計算も多少は含まれていたかもしれない。
あれだけの大きさがあるなら建造途中の光景が記憶に残っていても良さそうなものだけれど。完成後の光景をあまりにも多く目にし過ぎたせいか、仰ぐように眺める集落の北側を思い出す時に浮かぶ光景は、必ず完成形の鉄橋がセットになっている。
何故か必ず晴れて雲ひとつ無い青空を背景に、キラキラ冴える山の緑と大きな鉄橋の深い青。
寄り添う家々だけの小さな田舎にはなかなかの鮮烈なインパクトをもって迎えられた姿も、利便性のおかげか日常の風景としてすぐに馴染んだ。

高校生になり、免許を取得して原付バイクに乗れるようになった。
晴れた日は自転車で、雨の日は路線バスに揺られて、ぐねぐねと登った緩やかで長い西の山の坂道を通る事なく。東の山にある車のために舗装された急勾配を苦もなく登り、大きな鉄橋を通って今までよりもずっと簡単に町に出かけられるようになった。

母の運転する車の助手席に座った状態なら、鉄橋を渡る事はすでに日常だった。
けれど自分の運転で、全身に風を受けながら広い道路を駆け抜ける体感や、車よりも速度は遅いのに助手席から眺める以上に実感を伴って後ろに流れて行く景色と鉄橋の骨組みを知った事、それらはすべて新しい発見だった。

橋の歩道が南側にあることを意識するようになったのも、自らの運転で渡ることを覚えてからの話だ。
気が向いた時に鉄橋を渡る前に停まり、原付を押しながら橋の真ん中まで歩道を歩いて住み慣れた集落を上から眺める事もあった。
西の山と東の山のちょうど中間地点あたりまで歩けば、そこから見下ろす真下には集落を南北に貫く狭い道路。
平らな場所におしくらまんじゅうのように立ち並ぶ家々、懐かしい小学校、その向こうには穏やかに凪いで瞬く海。
ひとしきり眺めて飽きたら真上を見上げた。
鉄橋の最適な骨組みと街灯、そして青空。
過不足なし。
ここで育ったおかげで、ここはどこよりも高い場所だった。


空が好きだ。
電柱が好きだ。
飛行機が好きだ。
高層ビルが好きだ。
鉄塔と電線が好きだ。
人間の叡智と努力が尽くされ、最適化の結果を伴った形に美を感じる。

ずっとそんなふうに考えてきた。
けれど立ち止まって振り返ってみれば、憧憬の根源は間違いなくあの鉄橋の青だった。
郷愁という言葉で完結させられる程度の感傷。


この街にあるのは電車のための高架。
車のための橋は無く山も海も遠い。


初出:20150109