見出し画像

仕事と生き方と自分と

今年の2月末に完全に会社を辞めた。

"完全に"というのは、1年くらい休職してから退職したからだ。

「さて。じゃあ、転職活動ですかね」

という風に考えるのが筋なんだろうけど、私の心の中は完全に

「もう全てにやる気無いぜ」

となっていた。

以来ここまで2ヶ月以上ニートをしている。

それで、暇を持て余した結果がこれ(note)


幸い金銭面に関しては、

保険組合に毎月の申請書(医師からの許可付き)を送る代わりに

新卒くらいの傷病手当金なるお金が振り込まれている

(しかも非課税。非課税ッ!)

私の所属していた会社の場合、

休職してから最長1年半の受給が可能なため

今年は働かなくても、とりあえずは生活に困らなそうだ。

税金に関しても、区が退職特例制度なるものを設けていて

年金が全額免除(+半分は払ったこと)になる。

どうせ返ってこない金の支払いが減るとか、正直最高。

ごめん。


もともとお金のやりくりはキチンとしていたので、

十分過ぎる程の貯金もある。

不労所得生活ってこんな感じなのかな。とか生意気な気分が湧く。


でも働くというルーティンが無いぶん、人と関わる頻度が落ちたりとかで

ストレスは増えやすくなってる。


前座はこれくらいにしよう。

それで、そもそもなんで会社を休んで辞めたのか。

なんか急に振り返りたくなった。

だから小説の練習も兼ねて、書くことにした。

原因の元は、自分の人生そのものであるように思えるから

つらつらと人生録でも残すことにしてみる。



※長いので元気なときに読んでね

そもそもダウンの原因は?

とりあえず、休職(ダウンと呼ぶらしい笑)の経緯を書こうと思う。

もともと私は自閉的(ASD)な気質がある。

また、行動や思想が極端で、周囲に迷惑かけやすいADHDの気もある

(後で記すが、正確には私の診断名はASDでもADHDでもなかった。)

そのため当時の私は

思いや悩みを人に伝えるのが苦手であるという意識を強く感じていた

「どうせ言ったってわかってもらえないし。」が無意識下に常にあり

人を寄せ付けないオーラを放っていたと思う。

もともと感受性が強い私には、言葉では表現し得ない類の感情が多い。

だから毎回、健常者の人と会うたびに、どう表現すべきか迷ってしまう。

頑張って言ってみたものの「なんかしっくりこない」気持ちが先行し

いつまでたっても孤独感は拭えずにいた(今でもいる)


なので、殊仕事のような

会話が重要で、しかも具体性の求められる環境は

出来てもストレスになる。

これが多分大きく分けて一つ目の要因。


あと、ダウンする前はリーダーという立場で

それが働くための精神的支柱だった。


もともと学生の頃から変な人で

間違いなく寄せ付けないオーラを発していたため

晴れて大学生活に馴染めることもなく

ただひたすらに唯一の居場所となっていた

"仕事"だけをこなしていた。

そのため、いわゆる世間でいう"新卒"採用の頃には

いっぱしの社会人よりも仕事が出来た。


だから、新卒として仕事をすることに意義を見出せなくて

自然とそういうような考えの人が周りにも集まってきた。


するとどうも

皆は起業というものがトレンドらしく

あっという間に経営者が爆誕しまくっていった。

しかも彼らはすこぶる優秀で、

その敏腕をふるい、すぐに結果を残していく。


そんな中、私といえば

正直な話、彼らと次元の同じ人間と思っていた割には

新卒扱いされにくい企業人として働く

という選択に至っていた。

というのも、私自身彼らと比べるとそこまで社会的に強くなく

優秀(思考の深さ = IQ?, 説明力)ではあるが、強さ(精神的タフネス、良い意味で考え過ぎない力)に関して良いところは無かった。

なんでここで一つコンプレックスになった。

友達のように思える彼らは、企業人としてではなく起業家として頑張る。 私にはそれが出来ていない。

そんな訳で

経営者願望はありつつも、プレイヤーとして仕事をする葛藤

が苦しみを生む結果に繋がっていったわけだが

一番辛いのは、大企業の若手リーダーという役割さえも剥奪されてしまったということ。

別に仕事が出来ていない訳では無かったのだが

会社の仕組み上、リーダーという役職を減らしにいく方向性であったから

私は昇給したにも関わらず、平社員戻りかよ、とストレスを感じた。

だいたいこれが、二つ目の要因。


それらが毎日積み重なっていって、

「自分には自分らしく(自由に振る舞える)生きられる居場所が無さそう」

という疎外感だったり

「皆には出来る当たり前のことを、俺はできない」

といった類の劣等感が増幅し

もはや何が大切なのかもわからない

ことに気が付くと

体調がHOUKAIした。


診断内容

朝8時に寝て夕方17時に起きる生活が板につき

仕事が手につかなくなったので

いよいよ会社にも止められて

言われるがままに病院に行って、診断を受けた。

診断名は適応障害。


適応障害は、うつ病や発達障害などとは違い、

外部ストレスが原因で起こるものだそうだ。

対処策としては、とにかくストレス源から離れる、というもの。

てっきり流行りのうつって奴になっちまったのかと思ったけど

それは全く種類の異なるものだとその時に知り

以来私は精神医学や生命科学、心理学なんかに興味を持つようになり

1年間でそれらに関連する20冊ほどを読みまくってみた。

その時に色々と、医者に言われた。

「子供の頃からASDっぽいところがあるんだね」

とか

「あ、ADHDぽさもあるね」

みたいな。

まあ確かに、

他者との関わり合いについて人一倍悩んでいたとは思うしな。

一見すると「なんでそんなことで悩んでるの?」と思われそうな

些細な事でも、年がら年中悩んでいた気がする。

一般的に悩みとは

「まあ、いっか」

という気持ちで徐々に消えていくのだが

私の場合はそれが下手で、年中気にしてしまう。

理由は恐らく至ってシンプルで

"他者と上手く共有できないから"

じゃあないかなと思う。

この辺の話はこの後に書こうかと思う。


思春期

思春期の頃を思い返す。

高校1年生の夏くらいまで、

他人とのコミュニケーションに違和感を強く孕んだまま

一生懸命に突っ走っていたと思う。

なんの気なく他者と関わり合いに耽る周りの人たちを

羨望の眼差しで見ていたのは言うまでもない。

高校一年生の夏頃、色々と問題があり

その頃に数ヶ月ほど、自分の死を毎日考えて脅えていた。

その苦しみは当然思春期なので親にも言えずに

友人にも(その当時、自分にとっての友人と呼べるものはいなかったのだろうけど)誰とも分かち合うことができず

表面上クラスメイトに伝えることはあっても

分かり合えたと感じることは無かった

その時ほど

この世界には誰も信用できる人なんていないんだな

と絶望したことはないだろう。

それでも

なんとかして生きたい

という気持ちはあった。

だから、それでも何か自分に出来ることはないかと考えた末、

「勉強」に集中しようと決めた。

当時の自分には他に何も出来ることがないように思えたし

ここで成果を上げないと本当に死んでしまうと思ったから

精一杯努力した。


いざ真面目に勉学に励んで見ると、案外面白くて

結果もすぐに現れてきた。

確か1学期に学年286人中187位だった僕は

3学期末に30位には入ってたと思う。

1, 2学期の負債を抱えて30位なら凄いもんだ。えらい。


そしてその後も順調に成績が伸び

遅く学問の扉を叩いたにも関わらず

一応希望の大学には入れた。


大学なら、1つくらい自分の居場所になる場所があるんじゃないか

と期待を抱いていたが、現実は甘くなかった。


大学生活 = 仕事生活

大学に入ってすぐ、私は気付いた。

「馴染めない〜!」

気になるサークルはどれも馴染めず一瞬で霧散

授業仲間にはよっ友もくらい。

相変わらずの心ぽっかり具合。


ということで

次は「勉強」に代わる「何か」を見つけなくてはと考えた。


なんかないかなーとネットを漁っていて

たまたまWeb制作の仕事を見つけた。


幸い、高校の頃からタイピングが得意だったので

ここは居場所になりそうと思い応募。

簡単なフロントコードを書くテストに合格して、働き始めるようになった。


そこから大学卒業までの仕事生活は長くなるので端折るが

最初の方でも書いた通り、私の周囲には

・意識が高い

・頭が良いとされる人間

・IT

の軸で形成されるコミュニティが出来上がっていった。


実際、どんな仕事をやってもある程度の成果が出て

それを見て周りが私を評価してくれる

という正のスパイラルに陥ったと感じている。


徐々に自信を取り戻していき、

プライベートでも人との付き合いを通じて、

"分かり合える感覚"の存在に気付けるようになっていった。


いわゆる就活生の中では上の中くらい

(主な進路が総合商社、外銀・外コン、ベンチャー、起業など)

のコミュニティに属していたため

自分もその流れで、社会人としてバリバリ働くんだろうな

と思っていた矢先

プライベートでいざこざが発生して

積み重ねた自信や経験は、全部ひっくり返った。


「わかりあいたいのにわかりあえない」

大学4年間はIT業界である程度バリバリと頑張り

周囲からの評価が得られて自信がついて

自信が更に人望を集めて人付き合いが改善されて

当初目標としていた「居場所づくり」は徐々に完遂されていたように思えた。


でも、キチンと振り返ると

当時プライベートでの隔絶があったことで

全てが覆った(ゼロに戻されたような)気がする。


話の流れ的にはこんな感じだ
・自分は元来、他人と"わかりあえない"ことを苦痛に感じていた

・プライベートを通じて初めて"わかりあえる"喜びを得た

・別れによる痛みも知った


今まで殆ど分泌してこなかった幸福を感じる脳内ホルモン

オキシトシンの分泌量が増加して

他者との協調性を司る神経基盤

右側の側頭頭頂接合部(RTPJ)

が発達したせいで

最初より余計に痛みに敏感ってワケ??

いてぇ。


この苦い経験は今ならまあ進歩だと思えるけど

当時の自分にとって地獄なワケで

「好きという気持ちに嘘はないのに、身体が相手を拒んでいる。何故なのか。わからない。心と脳と身体の不一致でイライラする」

そんな感じの絶望に数週間浸ってしまったのが記憶に根強く残っている。


一方で社会人としての地位の確立、

つまり就職活動も時期として目前に近づいていた。

が、こんな風にあれこれ悩みに悩んでいた時なので

"なんでそもそも就活なんかするんだ?"

という問いが当然押し寄せてくる。


もっと言うと

"俺これから先、何のために生きればいいの?"

である。

(子供の頃から時折考えてはいたが、特にこの頃から比重が増えた)


プライベートでもたまに

「きみは、本当の自分に向き合ったことが無いよね」

と言われていたから

まあ、本当にそうなんだろうな。ああ死にたいなと。


自分は頭で考えて物事を理解しようとするが、

体験で以て本当の意味を知る人ではない。

そういう風に言われたんだろうと傷ついた。


それで、思ったのである。

「おそらくこの先も、仕事という便利なツールを生かして、周囲に求められることを提供し続ければ、承認欲求も、その他諸々の欲望も満たされ続けるだろう。それによって困ることなんて、表面上は1mmも無いはずだ。でも、それって誰かが作ったレールの上で上手に踊っているだけで、仕事を終えて何の肩書も無くなったときの自分には、何の価値が残されるんだろう。あってもそれって"自分"を貫き通したというより、組織って"共同体の延長線上"でしか存在しない。てことは、自分が理想とする"本当の自分"には、自分がやりたいことをやることでしか到達し得ないのだ。」

これが21歳の頃。

失敗や挫折、それから身を守ろうとしない二十代の前半戦

そこから紆余曲折を経て今年、25歳になった。

21歳の頃、自分が知った問いに答えを見出だそうと、

あらゆる手段で自分を追い込んでしまった。疲れたあああ。

正直なところ、一番自分がやらなそうなことばかりチャレンジした。

例えば、新卒入社を予定していた大企業の内定を断って、

知名度の低いベンチャー企業に入ったり。

そしたら今度は、

当時世間を賑やかした電通のまつりさんの過労自殺事件と同様

そこで苦しい環境に追い込まれ、鬱になり、

1年ちょっとで辞めることになった。


心折れつつも、まだめげまいと、

元行く予定だった会社に中途で戻ることになった。


一度辞めると決めた会社に戻るってこと自体、違和感があった。

けど、受け入れてくれた会社には恩を返そうと、頑張った。

けど結局、新卒で辞退した頃のように

「なんで俺、こんな競争のレール上で頑張ってるんだ」

というわだかまりは日に日に増え

社会に出て目の当たりにした

自分よりも圧倒的に優秀な人々を目の当たりにして

「自分は理想が高い割に、何も出来ないな?」

と自分を追い込んでいった。

その結果、去年の5月、メンタルを病んで、休職した。


26歳になる私に向けて

改めて。今年の2月に会社を正式に辞めて、ニートである。

ダウンしてから10ヶ月くらい、

就労移行支援施設なる場所で、転職とか、

もっと大きいところで行くと

「再発せずに幸福でいる事」を目指して

あれこれ心理療法なんかを受けたり学んだりしたが

やっぱりなんとなく心のどこかにわだかまりがあったりして

それらの先に見えた世界とは違うと思った。私の世界が。

やはり自分の人生には

「これに命を賭すことが、俺の使命である」

と言えるような、何かが必要らしい。

それで、この1週間と少し、就労施設に通うのを止めて、

人と喋ることを殆どせずに、自分の自由に時間を過ごしてみた。

やったことといえば、

GW明けにオーストリアのウィーンに行くための片道切符を買ったくらいで

他には特に何も無かった。

怠惰である。

あとはまあ久しぶりに学生時代の友人とサウナ行ったり。

ゲームして、曲作って。



なんか人生を変えなくては、と思うわりに、

何をやっても良いですよ、と言われた時に、

これほどまでに動き出すのが難しいだなんて、思いもよらなかった。

でも、いい反省材料なんだな。自由って難しいいい。


ストレングスファインダーでは5回連続1位が「慎重さ」の僕は

伊達に先のことを見越して行動してないなって思う。

悩みすぎだ。笑


ただまあ、こうして今、6000字くらいつづれて居る。

カレー作って楽しんだりもできる。


強いていうなら、1人で居ることの寂しさは、

誰かといた時の、一瞬の幸せを失った時の辛さほど苦しくは無いけれど、

延々と続くのは死を待つだけのような気がして、虚しいってこと。



何かしら行動して、人生を明るくして、

そういうことが人には、60億年のDNAプログラムにおいて仕組まれて居る。

それに抗おうというのが誤りだと。そう気づいた。

幸せになりたい、それを願って、これからの人生を明るくしたい。

そのために頑張りたい。それだけ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?