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長崎、大人の旅

この禍になって気軽に旅というものができなくなった。

人間というものは、できなくなると余計に思いを募らせる。

そしてこれまで経験した旅の中で印象深かった思い出に浸り、心だけでも遠い彼の地へと思いを馳せる。


社会人になってニ年目の夏。普段から交流のあった“お向かいさん“から旅のお誘いを受けた。私は二十歳になる数ヶ月前。お向かいさんは確か38歳くらいだったと思う。目上の女性に面と向かって年齢を聞くのはルール違反だ。社会人になってまだ二年目、ひよっこの私は色んなことを学んでいる最中だった。

私たちはお互いの職場で知り合った。とある商業施設の中心部のデザイナーズブランドが集結している場所。お向かいさんの店は「C」から始まる名前の、パリコレでも超有名な世界的デザイナーズブランド。私のいる店は「N」から始まる名前のブランドで、そのファッションモールでは一番の売り上げを誇っている人気店だった。

お互い店長という肩書きで店を切り盛りする立場。常に「売上ノルマ」という崖っぷちで戦う戦士の如き重圧に耐えながら日々頑張っている者同士、年齢はひとまわり以上離れているけれど、何か通じるものがあった。

加えて私は若さもあり、甘えん坊体質全開(年上の女性に対してのみ)の性格だったことで、お向かいさんとは出会ってすぐに仲良くなったけれど、その人は周りの店のスタッフからは一目置かれる「曲者」として有名だった。

まず見た目が怖い。小柄で華奢な体躯にそのブランド独自の真っ黒な着こなしからは独特のオーラを放ち、真っ黒なのに異常に存在感があった。とにかく怖い。

メイクはほぼしない。鋭い眼光に映える真っ黒なアイラインのみ。そのブランドの顔でもある世界的デザイナーとその人は非常に似ていた。そしていつも真っ黒でメッセージ性の強い服。私は一眼見た時から「カッチョええ!!」と憧れ、好奇心から恐々挨拶するうちに仲良くなったけれど、周りの店からは敬遠されていた。「何を話せばいいかわからない」「なんか、怒られそう」「怖すぎて目も合わせられない」などと噂が流れる。それほどに皆から敬遠されるその人は、何故かいつも少し悲しげな表情をしていた。

そしてある時、その人から不意に旅のお誘いを受けた。

「一緒に旅行しない?」

私は二つ返事で快諾した。行き先はその人の友達がいるという長崎だった。お友達のおすすめの老舗料亭を紹介していただき、長崎名物の「卓袱(しっぽく)料理」なるものを食しに行こうという。これは嬉しいお誘いだ。私は長崎へは行ったことがなかったし、ぜひその聞いたことのないナントカ料理なるものを食べてみたいと思った。

周りの店のスタッフにそのことを告げると、「えぇ〜〜、あの人と旅行?嘘でしょ、やめときなよ。パシリにされるよ?」と心配されたが全くそんなことはなかった。

道中、飛行機の中の二人はいつも店にいる時とは全く違った穏やかな表情で、始終おしゃべりをしてよく笑った。へぇ、こんな人だったのかと意外に思ったし、初めて見せてくれるリラックスした顔が何だかとても嬉しくて新鮮だった。

長崎に着いて最初に向かったのはチャンポンが食べられる街の大衆食堂のような店だった。どうということもない店内は地元住民の方々に日常使いされていることがよくわかる。飾りっ気はないが味は逸品だ。チャンポン自体、それまでほとんど食べたことがなかったので、そのコク深いけれどあっさりとした白濁のスープとたっぷりのお野菜に大満足だった。長崎、美味しい!


夜はいよいよ長崎在住のお友達と合流し、老舗料亭に噂の卓袱料理を食べに行った。

*卓袱料理とは、中国料理や西欧料理が日本化した宴会料理の一種。長崎市を発祥の地とし、大皿に盛られたコース料理を、円卓を囲んで味わう形式をもつ。和食、中華、洋食の要素が互いに交じり合っていることから、和華蘭料理とも評される。日本料理で用いられている膳ではなく、テーブルに料理を乗せて食事を行う点に特徴がある。 (ウィキペディアより)

朱塗の豪華な円卓を三人で囲む。次々に運び込まれた和洋折衷の華やかな大皿料理が所狭しと並べられる。そこへ現れたのは大ぶりなひさし髪 (大正初期、モダンな女性たちの間で流行った、前髪と鬢(びん/側面の髪)を分けずに大きく膨らました髪型)に芸者さんのような格調高い黒紋付を、襟を抜いて思いっきり粋に着こなした女将さん。恰幅が良く、堂々として見ていて気持ちがいい。一皿ずつ丁寧に説明してくださるのだが、私は料理よりも女将さんのそのゴージャスでアメイジングな存在に釘付けになってしまい、一人ぽぉ〜〜っと見惚れていた。

もちろんお料理はどれも素晴らしかった。それまで食べたことがなかった沖縄料理に出てくるような豚の角煮のとろけるような甘辛い味付けが、まだ子供舌だった私にはとても美味しく、色とりどりの豪華な和洋折衷の大皿料理を小皿に取り分けながら食べるのも初めてで、とても新鮮に感じられた。

その宴の席でも彼女はとてもラフでフレンドリーだった。久しぶりの旧友との再会も手伝って、いつになく饒舌でお酒も進んだ。初めて見る姿にはんなりとした女性らしさを感じて、まだ日本酒が飲めなかった私まで、小さなグラスビール一杯で心地良くなってしまった。

豪華な卓袱料理に舌鼓を打った後、お友達と別れた私たち二人はタクシーに乗り込んだ。昔のムード歌謡に「長崎の夜はむらさき」という曲がある。それを確かめるために稲佐山に登った。

小高い稲佐山の中腹あたりまできてタクシーを降りた。運転手さんに「長崎の夜は本当にむらさきなんですか?」と聞くと、見晴らしの良い絶好のビューポイントへ案内してくれたのだ。そこは紛れもなく長崎だった。異国の地に降り立ったかのような「むらさき」だった。これがあの歌の原風景か。ネオンの海にはキラキラと美しい華やかな長崎の夜が映っていた。何だかゾワゾワとした魅力に取り憑かれ、私はしばし茫然となった。


「私ね、結婚は諦めるわ」

ボソッと彼女がつぶやいた。隣で夜景に見惚れていた私は不意を突かれ、なんと応えていいのか分からず、ただ頷くことしかできなかった。確か行きの飛行機の中で聞いた話で、彼女は年老いた病弱なお母様と二人暮らしだと言っていた。もうすぐ二十歳の小娘とバリキャリの孤高の38歳。一見なんの共通項もない二人は、並んで長崎の街を見下ろし、むらさきの煌めく光の海に揺蕩う彼女の苦悩に思いを馳せた。


「もう、疲れちゃって」

「いいんじゃないですか?それもまた、〇〇さんが選んだ人生なら」

「そうだよね、ありがと。やっぱ、来てよかったわ」

「……にしても、めっちゃ『むらさき』ですねぇ」

「ほんと。めっちゃむらさき」

「綺麗ですねぇ」

「うん、綺麗だねぇ」


そんな、なんでもない会話しかなかったけれど、今でもあの時の光景をはっきりと思い浮かべられる。その時、私は生まれて初めて大人同士の会話をしたような気がしたのだ。社会に出て、まだ一年と少ししか経っていなかったあの頃。初めて大人の女の人と向き合って、初めて自分も大人として話をしたことが、なんとも言えず背伸びしたような、嬉しいような、恥ずかしいような、誇らしいような気持ちになったことを思い出す。そして隣に並ぶ彼女の様子を少し心配しながら伺うと、いつもの寂しげな印象の彼女の顔と違って、そこに何かを解き放ったかのような穏やかな表情をしていた。


未だに長崎への郷愁がある。生まれ故郷でもなければ観光ツアーで賑やかに旅したわけでもないし、恋人とのラブラブ旅行の思い出でもないけれど。もう一度、稲佐山に登って眼下に広がる「むらさき」の光の海を見に行きたい。あの時初めて感じた大人の心は今ではすっかり板についた。もしかしたらあの時から私は人の心に寄り添って話を聴くことが好きになったのかもしれない。聴いたからといってどうしてあげられるわけでもないのだけれど、その後の彼女の私に対するちょっとだけ「特別」な接し方に、人としての魅力や嬉しさを感じずにはいられなかったから。まるで共犯者のような精神的つながりは、わざわざ言わずとも他言無用という約束と思いやりの心で二人を結びつけていたような気がする。

またいつか、長崎の旅がしたい。


#長崎 #大人の旅 #郷愁 #旅の思い出 #エッセイ





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