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戦友のような彼女

昨日は4年ぶりに会う友人と横浜のフレンチレストランに出かけた。
去年の年末にお誘いを頂いたのだが、私の体調が思わしくなく、年明けに延ばしてもらったのだ。

彼女との付き合いは息子が幼稚園入園の時からなのでかれこれ20年を超える。
最初はママ友の一人だったけれど、同い年だったこともあり徐々に親密になった。

最初に彼女に出会った時、彼女の佇まいや言葉遣い、所作がとてもステキだなと思った。そして付き合いを重ねるうちに、人に対する気遣いが非常に繊細でやさしい人だな、と感じていた。
気になること、気がつくことが私の内側にあるものととてもリンクすることが多く、お互いに共感をもたらした。
「あ、この人とは心が通じ合うな」と感じることがたくさんあった。

かといって、いつもべったりと一緒にいたわけでも、常に連絡を取り合っていたわけでもない。
息子たちが卒園したのちは学区が違うこともあり、小学校からは物理的な距離ができた。うちは息子、あちらは娘ということもあり、子供同士は成長するにつれ自然と疎遠になっていった。

それでも私たちはずっと繋がり続けてきた。お互いにある日ふと気になったり、夢に出てきたりするのでその都度メールやラインで「大丈夫?何かあった?」とメッセージを送るとなぜか本当に彼女がピンチだったりストレス満載だったりで、「あ、わかった?」「じゃあ久しぶりに会う?」とランチやお茶をするという感じで。

二人ともこの20年間は紆余曲折あって、はからずも“離婚”という選択をした。
私は14年前。彼女は4年前のこと。
彼女は結婚後はずっと専業主婦だったけれど、離婚を機にある資格をとって、ン十年ぶりに仕事に就いて頑張っていた。

コロナ禍での就職はさぞかし大変だったと思う。
その仕事ぶりや苦労話を昨日はたっぷりと聞かせてもらった。私もまた、この4年間のことを彼女にじっくりと聞いてもらった。

横浜のフレンチレストランに誘って頂いた

お昼から贅沢なコースを頂き、約2時間半を過ごした。魚には白、お肉には赤ワインを合わせて。
お酒が飲めない彼女は、ノンアルコールのカクテルを楽しんだ。

そろそろ時間だと分かったのは、私たち以外には隣のテーブルで同じように一年ぶりの再会を楽しまれていた(至近距離だったので話が聞こえてしまったのだ)素敵なマダムたちしか残っていないと気づいたとき。

いつの間にか満席だったレストランは私たちとマダムたちの4人だけになっていた。

私が先にレストルームをお借りし、戻ると交代に彼女も席を立つ。お隣のマダムたちが味の感想などを話しておられ、つい「美味しかったですよねぇ」と賛同すると話に花が咲いてしまった。余りにもお二人が楽しそうで、つい。

お二人とも着るのもやアクセサリーに「ハレの日」を感じる。オシャレで品のいいマダムたちは見るからに"いいとこの奥様"だ。そのハイソな佇まいに、私や彼女のような紆余曲折の苦労は欠片も感じ取れない。お二人ともにオープンな朗らかさをもっておられる。こういった外食にも慣れていて、社交的で華やかな雰囲気がその余裕の微笑みに滲み出る。

いや、見た目では人を判断など出来ない。こんなにステキなマダムたちにだって、人には言えない人生の紆余曲折はきっとあったに違いない。それを乗り越えて、今ここで一年ぶりの再会を祝福し合い、美味しい食事と会話を味わう余裕を存分に楽しんでおられるのかもしれない。

そう、人は外側からは何も判断など出来ないのだ。

私たちもきっと端から見れば、お隣のテーブルのマダムたちのように、女友達との優雅な平日ランチに見えるのだろう。そう、その時間を大いに楽しんだ者が勝ちなのだ。どんなにしんどい内情を抱えていようとも。人の目など関係ない。その時間は大切な自分の人生の一瞬なのだから。

私がレストルームを使っている間に彼女がお会計を済ませてくれていたので、店を出たときに私の分を払おうとお財布を出したら彼女がそれを掌で阻止するようにして言った。

「言ったでしょ?4年前、離婚の報告をした時に。資格を取ってもしも就職できたら、その初任給であなたにお食事をご馳走させて、と。覚えてないの?」

あ、そう言えば。。。

「これまで必死に頑張ってきたけど、しんどいときにいつも話を聞いてもらって支えてくれたでしょ。ずーーっと"悪いなぁ"と思ってたのよ。だから、そのお礼がしたかったの。今日、この日のために私頑張ってきたんだよ!」

そんな約束をしたことをすっかり忘れていた自分が恥ずかしかった。今日のお誘いを初めからそうとわかっていたなら、選ぶメニューもお酒も控えていたのに。よりによって私は、前菜もメインもシェフのおすすめの追加料金が発生するものをチョイスしていたし、彼女はお酒を飲まないにも関わらず、私は一皿ごとにワインを合わせてしまった。だって久しぶりのフレンチコースだったんだもの。この瞬間を味わい尽くさねば。食い意地の張った私はいつもの調子でお料理とワインのマリアージュを勝手に楽しんでいたのだ。

すべからく私はその時激しく後悔した。なんたる無遠慮。なんたる無配慮。だいたい、これまで彼女が「この店に行きたい」などと一方的に名指しで店を決めてきたことなど一度もないのに。必ず私の意向を聞き、合わせることが彼女のデフォルトだったのに。いつもと違った彼女のお誘いの勢いに、「珍しいなぁ。でも横浜行きたいし、お店のHPを検索してみるとめちゃくちゃ素敵なお店だし、行きたい行きたい!」などと呑気に構えていた。なぜ気づかなかったのか。お気楽で愚かな私はその裏にある彼女の思いを全く汲み取っていなかったのである。

あああ、バカすぎて情けない。私は単純に4年ぶりの再会をウキウキと楽しんでいただけだった。
本当に情けない。そして申し訳ないことをした。
これが男性ならば「美味しかったです!ご馳走さまでした~❤️」と、けろっと甘えて済ませられるのだけれど。(そんなことは滅多にない)

ひたすら謝る私を彼女は半分怒りながらなだめてくれた。私にご馳走する、という目標を立ててこの日のために頑張ったなどと。本当になんという人だ。


訳あって、今は休職中の彼女は年老いたご両親のために日々奮闘中だ。その悩みや愚痴や色々と葛藤する心中を、ランチの後に訪れたカフェ(ここはもちろん私の奢り)でじっくり話してくれた。本当に頑張り屋さんな彼女。そしてマザーテレサのような、人を包み込む大きな優しさと愛情を持っている人。この人がこの先、幸せにならなければウソだ。ならなければいけないのだ。絶対に。心からそう思った。

彼女はコーヒーがのめなくて紅茶が好き


次回は子供たちも交えて食事をしようと約束して別れた。昔も今もこの先の人生も、大変なこともいいこともたくさんあったし、まだまだあるだろうけれど、私たちの20年という絆はこれから先もきっと切れることはない。その感覚だけは確かにある。

そういう友人に今生で出会えたことに、私は改めて大いに感謝するのだった。二人とも、パートナーには恵まれなかったけれどね。ドンマイだ。
これからも末長くよろしくね。




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