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心のシャッターを閉じる前に

先日、ひらやまさんのこの記事を読んだ。

よく笑うひらやまさんは、人に「何故笑うのか」と言われてとても傷付いた経験がおありだそうだ。

この文章を読んで自分が若かりし頃の苦い思い出が一瞬甦った。

ハタチ。身も心もまだまだ大人になりきれず不安定な状態。私は高卒で働き出して2年目。ある名の知れた大手アパレルブランドの直営店で働いていた。

80年代のアパレル全盛期。バブルに浮き足立つ日本経済。面白いようにモノが売れ、私自身は仕事がとても楽しくなってきて乗りに乗っている頃だった。

現場視察のために本社から時々やってくるお偉いさんがいた。肩書きは常務。多分あの当時30代後半位だったかな。飛ぶ鳥を落とす勢いのアパレル業界で「オレを中心に世界は回ってる」とでも言いたげな、いかにものギョーカイ人を気取った人だった。確かよそのブランドからの引き抜きで、いきなり社長の右腕に抜擢されたと聞いた。現場の私達にはとても厳しく、常に売り上げのプレッシャーをかけてくるので社員皆から恐れられていた。

その日私はいつも通り売り場にて接客をしていた。入店されたお客様に笑顔でお声がけし、楽しくやり取りしながらスムーズに売り上げに繋げられたと思った。常務はその様子を店の外の少し離れたところから腕組みしてずっと見ていた。接客の途中で常務に見られていることに気付いたが、特に気にすることもなくお客様との会話に集中していた。

お買い上げ後のお客様を送り出し、改めて常務に挨拶した。

「お疲れ様です!」

すると常務は挨拶もせずにいきなり私に向かってこう言った。

「おまえさ、笑顔が気持ち悪いんだよ。」

「・・・」なに?

一瞬、何を言われているのかワケが分からず言葉が出ない。

「あ、あの・・・」

「笑いすぎなんだよ。気持ちわりーよ!」

「・・・はぁ、すみません。」

なんだかワカランがとりあえず相手は常務なので謝った。そしてとても傷付いた。

それ以来、自分の笑顔は「気持ち悪い」印象を人に与えていたのだと思ってひどく落ち込んだ。しばらく鏡で笑顔の練習をしたり、接客中に自分の顔を鏡でチェックしたりして、どんな風に気持ち悪いのかを分析しようとした。自分が悪いと思っていた。直さなければと。

それ以来、常務が偵察に来るととても緊張して接客がぎこちなくなった。見られていると思うと余計に笑顔がひきつる。なるべく笑わないようにして真顔でいることに努めた。するとお客様との会話もあまり上手くいかずに売り上げも思うように取れなくなってしまった。

今なら言える。人に対して「おまえの笑顔は気持ち悪い」という心ない言葉に対してその真意を問うべきだろうと。言い方も言葉づかいも酷いし、今の時代にそんな事を言おうもんなら即パワハラで訴えられてもおかしくない。

でも実際、二十歳のまだ世間知らずで社会的軋轢の免疫がない娘が、勤め先の会社の常務から面と向かってそう言われたら蛇ににらまれた蛙状態だ。「おまえの笑顔は気持ち悪い」という言葉が何度も何度も頭の中でリピートして心をグサグサと刺した。

「笑う」というアクションは、心が楽しく愉快である状態で自然と出る表情だ。人と接する仕事上、まず相手に与える印象として標準装備していなければならない。もちろん単に笑えばいいというものではないことは分かっている。相手の表情をよく観察し、その時必要な笑いの種類を臨機応変に使い分ける必要がある。試着室から出てきたお客様が「サイズがきつい」と言われた時に歯を剥き出してバカ笑いをしたら誰だって怒り出すだろう。柔らかな微笑みでもうワンサイズ上のものをサッと差し出さなければならない。

あの時の自分の笑いの表情はどんなだったんだろう。思い出してみようとしてもうまくできない。人に気持ち悪がられる笑いなんてあるのだろうか…。

そこで、もし私が常務の立場だったのなら、と考えてみる。

こちらのペースで接客を進めるためには、明るい表情でお声がけし、お客様の気持ちをオープンにしてもらう事が大切だ。元気いっぱいのハタチの私はきっとオーバーアクションで顔の表情も過多だったんだろうと思う。もしかするとお客様も引き気味だったのかもしれない。要は外からみた私は何かしら違和感があったということだ。そんな時どんな注意をするべきか。

50を超えた今の私なら分かる。ハタチの社員の士気を下げたり傷付けたりすることなく、仕事のモチベーションを上げるような言葉。

まずお客様の立場で考える脳と、販売員としての立場で考える脳を俯瞰して持つこと。そのバランスを常に調整しながらお客様一人一人に合わせたパーソナルな接客を心がけること。この人には今どんな表情でどんな言葉が的確か。それをゲームを楽しむようにやってみようと。いきなりトップスピードで勝負に挑んでも相手によっては空回りすることだってあるはずだ。徐行運転から入って並行してゆっくり走っているうちにいつの間にか相手を自分のペースに巻き込んで最高速度を出していたというのが理想的だ。接客が終わった後に「また来ます」と言ってお互いに満面の笑みで送り出せるために。

そして今なら分かる。常務と言えども30代ではまだまだ若い。社会的に成功しているとはいえ、いやだからこそ人間の繊細な心の機微を理解するには色んな経験が足りなかったのだろう。だからハタチの私はそれほど落ちこむ必要も傷つく必要もなかったのだ。

若さは傷つきやすい。人の目や言葉に過剰に反応しすぎるのはやむを得ない。自意識過剰なのは自己の中身がまだ出来上がっていない不安感と失敗を恐れる恐怖心からどうしても内向きな視点になりがちだから。それは仕方のないこと。

何を言われても気にするな、は無理なことだしそれができれば傷付いたりしない。あの時の常務に対して今の私が言える事は「あなたも大変だね。あなたの立場でやらなければいけないことは私にはできない。だから頑張ってください。私は私の立場でやるべき事を自分の頭でしっかり考えてやります。」という事。自分の仕事を自分が納得いくようにできていれば誰に何を言われようともぶれないし動揺しないでいられる。できる限りの努力をしていれば、必ず結果はついてくる。そう信じて前に進む事が自己の確立と自信に繋がるのではないかな。

傷ついてばかりではいられない。どういう心持ちでいれば他人の言葉に揺さぶられずに安定していられるか。内向きな視点から俯瞰して見ることの訓練は自分の心も救うし相手に対する執着をも解き放つ。

心のシャッターを閉じてしまうことは簡単だが、そうする事で自分自身に対する引け目や苦手意識を植え付けないためにも、物事を俯瞰して見る訓練は社会の中で生きていくためにも役に立つのではないかと思う。ふぅ~と深呼吸してもう一段上から見てみる。

自分を甘やかすのではなく、逃げるのでもない。自信を持って心が前を向いた良い状態でいられるように。要は、自分自身なのだと。

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