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子育ての覚悟

三寒四温とはよく言ったもので。
片頭痛持ちの私。春先の乱高下する気温や気圧は特にキツいと感じます。

そして、もうすぐ本格的な春が来る、と気づいて、今書いておきたいことが突然頭に浮かんだのでちょっと書いてみようかな。

あと10日もすると4月。
この春から新しい生活に突入する方々もたくさんおられると思います。
幼稚園や小学校に入るお子さんを持つ世代が多いと感じるここnote界隈。
私はすでに成人した二人の子を持つ親ですが、子育てを終えて思うことがあります。

子供が幼稚園や保育園、または小学校という、人生において初めての「社会」に参加するにあたり、子供だけでなく親も不安がありますよね。
これから始まる未知の世界で、たくさんの「壁」にぶつかることもあると思います。
親だって、子を育てることに関してはこれから起きてくることは全てが初めてですから当然です。私もありました。そんな時、どんな心持ちでいればいいか。その答えはもちろん人それぞれでいいと思いますが、全ての親の共通する思いとして、「この子が幸せでいてくれたら」というのは間違いなく同じなのではないかと思います。そう信じたいし、それを前提とした話です。


息子が小学校に入学して間もない春のこと。
私と同じく花粉アレルギーがある息子は体調を崩しました。
お腹が緩くなり、頭が痛くなったり、自分で言葉にするのが下手な息子は先生に上手くその事を伝えることができなかったのです。
そして体育の時間になり、皆が着替えている時に先生のところにいって体の不調を訴えました。
すると先生は「体育を休むという連絡を親からは受けていない」と言い、息子が体育の授業をズル休みしようとしたと受け取りました。
私はその日の朝、息子に「もししんどかったら先生に事情を話してね」と言っていたのですが、連絡帳には何も書きませんでした。息子の様子を見て、話を聞けば分かるだろうと勝手に思い込んでしまったのです。
お腹が痛かった息子はそのことを先生にも伝えましたが、「連絡帳に何も書いてないからだめだ」と言い、そして体育をズル休みしようとして嘘をついた罰として、体育の時間、見学を許さず、教室に一人残って反省することを課しました。

小学校に入学して間もない子供はそれでなくても不安でいっぱいなはずです。
その日の夜、息子からその報告を受けた私。一人ポツンと教室に残されて、痛いお腹を抱えながら小一時間どんな気持ちで過ごしただろうと思うと、呆然としました。
そして、連絡帳に書かなかった自分を猛省しました。

しかし、明日からまた同じような事が息子に起こる可能性を考えると、いえ、息子だけでなく他の子たちにだって言える事です。「もし調子が悪くなったら体育を見学させてください」などと毎日連絡帳に書くなんてなんだかおかしい。なぜ本人の言葉を受け入れないのか。なぜ目の前の子供の様子を見ようとしないのか。
もちろん、学校側としては「そういう規則になっているから」と言えば全ては親の責任で済ませられるのはわかっていますが、臨機応変に対処するということが選択肢にないというのはとても危険だと感じました。


次の日、朝から息子の調子は悪そうでした。昨日のことが精神的にも残っているのは明らかでした。先生から嘘つきだと言われたことが心に刺さっていたのです。「休みたい?」と聞くと黙って頷きました。
私は学校に電話をして、具合が悪いので休ませる旨を伝えました。
フルタイムで仕事をしていた私は、自分も仕事を休まなければいけないリスクはありましたが、その日一日をいい加減にやり過ごしてはきっと後悔すると思いました。全ては手探りの子育て。子供に対する危機管理の母親の直感は、生き物の本能の中でも特に敏感で優れている感覚だと信じている私は迷いなく決断しました。

夕方になって、担任から電話がかかってきました。
「○○くん、様子はいかがですか?」
私は昨日の体育の授業の一件を息子から聞いたことを伝え、なぜ息子の言葉を聞こうとしなかったのかを尋ねました。
担任はその理由として、連絡帳に親からの連絡が何も書いていないし、息子の様子もお腹が痛そうには見えなかったからだと言いました。そして、こともあろうに息子が体育の授業を休みたいからお腹が痛いと嘘をついた、と言い張りました。

「そうですか。でも、息子は嘘はついていません。アレルギーの時期はお腹が緩くなることがあります。私が連絡帳に書かなかったのは間違いだったのかもしれませんが、それを理由に息子の言葉を嘘だと決めつけるのは納得がいきません。私は親なので、誰がなんと言おうと息子を信じます。そして、息子の言葉を嘘だと決めつけて罰を与えるような学校へは行かせたくないのでしばらく休ませます」と言って電話を切りました。

案の定、それから毎日のように担任からは「とにかく学校へ来てほしい、これからは連絡帳に記載してほしい」と渇望されましたが、まぁしばらく反省しろと思って10日ぐらいは休ませたように思います。先生も人間ですから、その間色々考えられたと思います。そして学校側からもうるさく注意されただろうと想像します。新任の若い女性教師で経験不足なこともあり、立場的にも上から言われることを真面目に守ることが最優先だったでしょうから気の毒な面もありますが、誰が正しいとか間違っているとか、責任の所在を追求するとかどう取るかとか、そんなことはどうでもよくて。一番大事なことは「自分はどうしたいか」を息子本人が考え、行動することだと思いました。
流石に私は何日も仕事を休めませんから、息子の様子を見て体に心配がないことを確認したのち、心が落ち着くまでおうちでゆっくりしていればいいと、息子に好きなことをさせて留守番させていました。

息子も最初は好きなだけ絵を描いたり本を読んだりして過ごしていましたが、そのうち退屈になってきたのか「学校へ行く」と自分から言い出したのでまた行かせることにしました。


その後も連絡帳には何も書きませんでした。また何か不条理なことがあれば行かなければいい、ぐらいに気楽に考えていました。行きたくなければ行かなくていい。行きたければ行けばいい。全ては本人次第です。それでいいと私は思いました。学校生活の何日間を休んだところで、その先の長い人生には何の支障もないのです。無理して不条理を受け入れ、相手の言い分を「決まり事だから」というだけの理由で言いなりになっていたら、その先の長い人生の基盤が「他人軸で生きる」ことが通常になってしまいます。

そんな大袈裟な。学校は皆勤賞目指して頑張る方が子供の精神が鍛えられて良いに決まってる。そんな風に考える親もいるでしょう。それはそれでいいと思います。いろんな考え方があっていい。だからこそ、「自分は親としてこういう考えを持っている」と、なるべく早い段階で自覚しておくと、子育てする上で迷わなくて済みますよ、という話です。

もちろん、パートナーや他の親御さんや自分の親に相談することもとても大事な事ですが、何かあったときは全て自分に返ってくると思っておいた方がいい。実際そうですから。誰にも責任など取ってはもらえません。子育てってそういう覚悟でするものだと思うのです。

これから始まる新生活が幸せでありますように。

自戒と希望を込めて。


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