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何を以て「幸運」とするか

3月に入り、ますます忙しく気が付けばもう10日。何なん?と言うほどに月日が高速で流れてゆく。

しばらく書かないでいると、書き出す瞬間の瞬発力みたいなものが自分の中で消滅していて、キーを打ち始めるきっかけを逃してしまう。

頭の中では四六時中、いろんな考察がぐるぐると巡り続けていて、「あ、これ書きたい」とか「これは書かなきゃ」なんて思うのだけれど、つい日常の生活や業務に追われていると、いつの間にかどこか霧の彼方に消え入ってしまって、いざ書こうとすると「あれ?なんだったっけ?」となる。

日記というのはやはり毎日(じゃなくてもいいのだが)ちょこちょことマメに書かなければ続かないし、せっかくの気づきや思考を自分の中に留めて置けないのでとても勿体無い。

いや、忙しいは言い訳で、本当は気力がないというのが本音だ。
今の現状は「やらなければいけないこと」と「やりたいこと」のバランスがとても悪い。前者が圧倒的に大半を占めていて、後者をねじ伏せている。
「お前まだ出てくんな。とりあえずこれやってからモノ言え」という状態。
それってとてもストレスなんですよね。全ては自分で承知の上だから文句を言うつもりは毛頭ないし、前者を置き去りにしては本末転倒な部分も理解しているので余計に。

マストがあって当たり前の生活を一気に覆すのは至難の業なのだけれど、それでも自分の行きたい方向、やりたいことがうっすらとでも描けているうちは、心のバランスがなんとか保てているのかもしれない。ギリギリだけれど。
それを聴いてもらえる相手がいることは非常にありがたいし、少しずつ現実味を帯びたものになればいいなと思っている。それにはやはり自分から発信するしか方法なない。じっと黙って待っていても埒が開かないのは明白なのである。

人と人との繋がりに不思議な縁を感じることがあって。
なぜこのタイミングに?という再会や出会いは、きっと新たな道への道標的なことなのかなと感じている。
それが実際に叶わなくても、こんな道もあるんだなという気づきを得られれば、その出会いは今後の人生にとても大きなきっかけや目標を与えてもらえる。

じっくりとこれまでの自分を振り返りながら、今の現状に至るまでのことを聞いてもらい、今後の方向性を相談しながら自分の中で思考の整理整頓をしている。
相手には何も求めてはいない。そこのところを勘違いすると他力本願な人生になるのはわかっている。自分がどうしたいか、そしてどうするか。ということ。

カウンセリングやコーチングなど、お金が発生する関係性ではないからこそ、本当に親身になった相談や対話ができることもある。その人の人間性や背景を説明無しに分かった上での対話は、人生の御褒美のようなものだと思う。
偶然にもその機会に恵まれたことだけでも、私はきっと幸運なのである。

うん、今日は日記らしい日記が書けました。
やはり書き始めるとスラスラ行くね。
マメに書かねば。

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